気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

未来部にとっての魅力を失った池田氏。






いつもみなさん、ありがとうございます。

今回は未来部に対する読者からのご意見についてです。





「本日付(2018.2.18)で投稿された『創価大学閥と池田絶対主義』について、共感をもって読ませて頂きました。


そもそも会内に『学閥』がある事実自体が、彼らが御書よりも多く引用する『池田思想』なるものと最も相容れないと思うのですが、『池田思想』の信奉者の皆さんはその指摘を受け入れないし、反証も挙げずに必死に否定するのですよね。

まるで『そのことには触れてくれるな』と言わんばかりです。

聖教新聞に登場するいわゆる『最高幹部』とされる人々の経歴を見れば、『学歴など信仰には関係ない』と言い切った池田氏の発言と矛盾した現実は、もはや誰の目から見ても明らかにも関わらず、です。

『人は、見たいと欲する現実しか見ようとしない』

といいますが、この件に限らず一事が万事で、『創価学会ムラ』という閉鎖的で、自身らの価値観・思考過程・ジャーゴンのみが通用する狭いコミュニティ-旧来、創価学会が対峙すべき敵としてきた「日本的な共同体」と何ら変わりない組織-に頭の先まで浸かってしまうと、そうなってしまうのでしょう。

既知の事実でしたら、以下は読み飛ばして下さいませ。

私は、20代前半から30代前半にかけて少年少女部の担当をしていたことがありました。

10年以上も前の話なのですが、組織の上部から『創価学園に進路希望する少年少女部の子供達の数を増やして欲しい』という打ち出しがされたことがありました。

不審に思い、創大出身の学生部時代の友人に連絡を取り相談してみたところ、話を聞いた当時創大に入学した新入生にはアンケート用紙が配られ、その設問には『創大を選んだ理由』というものがあって複数回答ができるそうなのですが、その回答項目の一つに『創立者』とがあるそうです。

創立者とは、言うまでもなく池田大作氏であり、この回答を選ぶということは、イコールいわゆる『内部進学者』である蓋然性が高い訳で、この回答数をどうやら気にしているという話でした。

更に彼が言うには、年々この『創立者』が受験・入学に至った動機であると回答する学生の数が減少していて、学内で問題視されていたとのことでした。

かく言う私も、大学在学中に折伏され入信した男で、それ以前は創価学会大嫌いな父と祖母に育てられた『外部』の人間なのですが、当時法曹の道を志していた私には実績数からいって魅力ある大学に思え、高校時代にパンフレットを請求したことがありました。

まだ子供だった私ですら、卒業生の進路実績はそれほど『凄いな』と思えるもので、あれから20年近くを経た今は更に華々しいものになっているのでしょう。

その実績は、個人の宗教的使命感による努力や池田氏個人の人脈によるものだったり、当時から日本における一大勢力であった創価学会に恩を売れば…という、採用側の思惑によるものもまたあったのだろうなと今は思いますが、そこまで考えが至らない夢多き『外部』の高校生にも、魅力ある大学に映るのは当然かなと思います。

本来であれば、会の内外を問わず広く人材を糾合し、『平和のための要塞たれ』という創立者の意志を汲めたと外部からの入学増加を『実証』として喜ぶべきところを、斯様なアンケート結果で慌てふためいているようでは「こりゃ先はないな」と感じ、創価女子短大卒の当時の女子部の担当者と話し合い、

『むしろ"外"に打って出て現実社会を知り、信仰者として成長を促すことこそ、ウチの支部の方針にしよう』

と決めて、打ち出しは一切無視しました。

その後、私が未来部担当から外れた後に、少女部時代に部員会などで関わり、親御さんとも親しくさせてもらっていた女の子が、創大に入学しました。

どういった経緯で創大に行ったのかは不明ですが、彼女は卒業・就職し、親元を離れて暮らしています。

親御さんの話では、組織の活動には一切参加せず、勤行唱題も毎日しているかは分からないそうで、信仰からは距離を置いているようです。

ただ、まあ…親御さんの言うことですから多少の誇張はあるとしても、たとえ私達が『そんなものは建前であって、母体となった創価学会の組織においては真逆な現実があるんだぞ』と言っても、彼女は彼女なりに建学の精神や教育方針には思うところがあるようで、立派に社会人として生きているようです。

先日、近所で買い物をしていた折に、たまたま帰郷したという彼女と久しぶりに会いましたが、実に良い笑顔でした。

私はそれでいいと思います。

親の思いで生まれながらにして創価学会員となり、経緯はどうであれ『創価教育』とやらの洗礼を受ける羽目に遭い、今は一人の社会人として日々を生きる彼女のような子達が、いつか自身の生い立ちや思想の遍歴を語る時代が本格的に到来したら、自分はその時ようやく『池田絶対主義体制』下にあった創価学会が、総括されるものと思います。

池田体制における最大の過ちは、時間それまで散々に論難してきた『世襲の葬式仏教』と同じことを、『信心の継承』などという美名をもって、子供たちに強いてきたことだと自分は思うので。

ただの『信徒の再生産』でしかなく、自分らの食い扶持を未来に求めただけだろうと、私は思います。」




私も未来部担当者をさせて頂いたことがありますが、確かに創価学園創価大学の受験者を増やそうという打ち出しが来たことがありました。そしてその原因として、志望動機の「創立者池田大作を求めて」と回答する未来部員の割合が減っていることは聞いていました。



池田大作氏はかつては日本で誰もが知っている人物でしたが、もはや今となっては若い人はほとんど知りません。何をしたかもしらないし、どうでもよいのだと思います。
そんな人物を無理に啓蒙活動したところで、未来部員に拒否されるのがオチです。そんなわけで、未来部担当者時代の当時の私もまた、上からの打ち出しは全て無視して池田大作氏を宣伝するような方針は採りませんでした。


尊敬とか憧憬とか言うものは強制されるものではありません。魅力ある人物なのであれば、勝手に尊敬され、憧れをもって求められるだけのことです。
それがないということは、すなわち池田大作氏という人物の歴史的な役割も未来部にとっての魅力もすでに終焉しており、対外的になんら魅力ある人物として池田氏が映っていないということを如実に物語っているのだと私は思います。