具体的に言いますと、
①宝暦14年・大石寺33世日元書写本尊
①の脇書には「授与之 本地久遠実成釈尊垂迹富士浅間宮」と書かれていまして(画像1枚目、左端)、裏面には「我此土安穏、天人常充満、駿河国駿東郡井出村総鎮守宮守小泉甚右衛門」と書かれています(画像2枚目)。
また②の日英書写本尊は右端に「鎮守社再興成就為氏子安全」と書かれ、また左端の脇書には「授与之、駿河国東井出村、氏子中」と書かれています(画像3枚目)。
そもそも大石寺の教義で神社参詣を禁じたのは9世の日有の『有師化儀抄』に由来するものです。「他宗の神社に参詣して一礼をもなし散供をも参する時は謗法の人の勧請に同する故に謗法の人なり」とされています(『富士宗学要集』第1巻71ページ)。
ですから日元・日英両氏の神社への書写本尊授与は、この日有の謗法厳戒の原則に抵触するものかと思います。
しかしこれらの神社への本尊奉納が日蓮正宗では普通にあり得て、ことさら問題になっていないとすれば、過去に神社への本尊奉納は普通にされていたことと考えられます。あるいは日有の化儀がこの時期の宗内で形骸化していたのかもしれませんね。
いずれにせよ、日蓮正宗という教団が過去の自分たちの間違いとか矛盾点については目をつぶり、反省とか総括をすることができないという体質であることはよくわかります。この点に関しては創価学会と日蓮正宗は大して変わらないということなのでしょう。
追記:1
「神天上の法門」という語が示しているように、日蓮の思想では"神"概念は切り離せないものです。
日蓮の不思議なところなのですが、他宗を批判しつつもしっかり他宗を包摂して自身の教義中に取り込んでしまうところがあります。つまり日蓮の中では法華経を根本にさえすれば、八幡大菩薩の力用も認めるし、真言の即身成仏も法華経で可能だという理屈になります。
追記:2
まあ日蓮正宗の方はこういうことを言われると「それは随方毘尼の範疇なんだ」とか言い出す(笑)。都合の良い解釈ですよね。どうして矛盾を認めないのでしょうね?