気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

牧口常三郎の戦争観。




いつもみなさん、ありがとうございます。



牧口常三郎初代会長の発言を引用しましょう。


「東亜共栄圏乃至世界列国にこれからの新秩序の中核として吾等が実証によってここに提供せんとする最高価値の大善生活法は、人生の理想として何人も渇望するものであり、仏教の極意たる成仏法こそ之に応じた妙法であり、又『惟神の道』の真髄も之でなければなるまい。所謂皇道精神もこれ以外にあるべきはない。」
牧口常三郎「大善生活法の提唱」『牧口常三郎全集』第10巻所収、9ページ、第三文明社


この文章は『価値創造』第2号(1941年8月20日)に掲載されたものです。ここからもわかるように発言として「大東亜共栄圏」を認めた上でその「新秩序」として「大善生活法」をあげています。
牧口氏の本意がどこにあるかはさておき、少なくとも活字で残されたものに「大東亜共栄圏」を認める発言が存在する以上、そのことを総括しなければ、創価学会の戦争反対とか平和主義といっても偽善と見られてしまうでしょう。


周知の通り、日本は十五年戦争を始めるにあたり、その目的を「大東亜共栄圏の確立」としたわけです。いわゆる日本による植民地政策の正当化こそが汎アジア主義であり、大東亜共栄圏という思想でした。それを初代会長が認めているということは、牧口自身が戦争に反対したとは到底評価されないと思われます。


しかし次のような発言もあります。これは牧口会長に対する訊問調書からの引用です。


「斯様な事実は過去の歴史に依つても、夫れに近い国難が到来して居ります。現在の日支事変や大東亜戦争にしても其の原因は謗法国である処から起きて居ると思ひます。」
(「創価教育学会々長牧口常三郎に対する訊問調書抜萃」同201〜202ページ)


大東亜共栄圏」については認めていても、その戦争が起こったのは「謗法国」であるゆえということです。
ここから類推するに「大東亜共栄圏」構想は認めていても、戦争については「謗法」を攻めて広宣流布を達成することで初めて戦争という事態を回避できると牧口氏が考えていたことも推察できます。


次に獄中書簡から引用してみましょう。
牧口常三郎氏の三男である洋三が戦死したことを牧口が知り、そのことを書簡で触れている部分です。


「十月五日付、洋三戦死ノ御文、十一日ニ拝見。ビックリシタヨ。ガッカリモシタヨ。(中略)信仰上ノ障リガアツタロウ。後デワカロウ。病死ニアラズ。君国ノタメノ戦死ダケ、名誉トアキラメ唯ダ冥福ヲ祈ル信仰ガ、一バン大切デスヨ。」
(同300ページ)


戦死に対して「名誉」としています。ここからわかることは「国のために戦死したこと」は「名誉」であると牧口氏が考えていたことであり、決して戦争そのものに反対していたとはここからは明確には言えないということです。
彼が戦争そのものを悪と考えていたと仮定するならば、洋三の戦死を「お国のため」とは到底言えるはずがありません。



ここからわかることは、次の3点かと思います。

1、牧口会長は「大東亜共栄圏」の構想について認める発言をしている。

2、息子の戦死は「君国のため」の「名誉」と考えている。

3、大東亜共栄圏のための戦争は「謗法国」のためであると考えている。


私は牧口会長を悪し様に罵ろうとしているわけではなく、実像を正確に知りたいと考えているだけです。
牧口氏による創価教育学会の活動は日蓮正宗の布教活動であったと思います。
氏は布教活動、そして"広宣流布"によって謗法国を退治し、平和社会を作ろうと考えていたことは言えるかもしれません。しかしそれによって明確に先の十五年戦争そのものに反対したとは言い難いと私は考えています。


過去を総括し、誤りがあるなら誤りとして率直に認めることでしか未来は語れないと私は思います。

「師弟」絶対主義の淵源。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて最近Twitterアカウントも開設させていただきました。このTwitterアカウントからいろいろと議論をすることも増えてきました。


Twitterアカウント

@mwP0s8t4fiA7LWQ

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さてこのTwitterの議論の中で、改めて理解したのは創価学会の「師弟絶対主義」ともいうべき考え方です。この考え方は創価学会のみならず、アンチ創価学会、また信濃町本部を批判する内部の方に広く散見される考え方かと思います。
つまり池田名誉会長は絶対的に正しく、絶対的に無謬であり、すべての間違いは「池田名誉会長の心を忘れた」ことにあるとして学会中枢を批判する論理です。


で、こういった考え方の淵源は、昭和52年路線が一つのきっかけだったとは言えますが、これと同質の思想は実は日蓮正宗の教義の中にすでに内在しているものだと私は考えています。




そもそも日蓮正宗は「法主絶対論」を唱えます。法主は法水写瓶、内証を受けているので絶対的な存在であり、無謬であるとする考え方です。
で、これを「師匠」に言い換えたのが創価学会の師匠絶対主義なのでしょう。しかも原田会長など「創価三代師弟の血脈」とまで言うわけですからね。


ところで、大石寺26世日寛の『三宝抄』には次のような記述がみられます。


「然ルニ即吾レ日興上人嫡々冩瓶御弟子ナル事分明也。故ニ仰末法下種ノ僧宝也。爾来日目日道代々咸タ是レ僧宝也、及門流ノ大衆も亦爾也」

「仏法アリト云ヘ僧アテ習伝ズンハ正法像法二千年過ギテ末法にも伝ルヘカラス云々、又余ガ如キ無智無戒モ僧宝ノ一分也」
(堅樹院日寛『三宝抄』)


つまり日寛によれば「自分のような無智無戒の者も僧宝の一分である」ということですし、代々の法主だけでなく「門流の大衆もまた然り」として、信徒にも僧宝の一分が備わるということになります。
つまり日寛の教義によれば、代々の大石寺法主に血脈が通うとすると同時に、信仰心を持つ者であれば信心の血脈は「信徒」にも流れ通うというロジックも展開しているのです。


現今の創価学会は教義的にまだ日寛教学を脱してはおらず、それらを認める立場にあります。
ですから、日寛の教義を「信心の血脈」と捉えて展開することは、本来の日蓮正宗の中に内在していた教義を下敷きにして創価学会が自分たちを「民衆仏法」とか「創価学会仏」とか自称しているだけなのです。


で、それを純粋に「創価三代の師弟の血脈」とか「池田名誉会長への絶対の信」を主張することは、教義的には日蓮正宗の中の教義を単に拡大解釈しただけで、やってることは同じということになります。



日蓮正宗の教義矛盾。




いつもありがとうございます。
日蓮正宗の方でも私のブログを読んでそれなりに共感してくださる方もいまして、本当に感謝しています。
日蓮正宗の信仰に矛盾を見いだしながら、まだ信仰を続けていることも個人の自由ですからそれはそれでも構わないかと思います。大切なことは日蓮正宗という教団の欺瞞性と教義の矛盾に目を向けることであって、そこから煩悶を越えて自身の思想を内面に形成していかなければならないということです。


例えば以下のブログ記事についてなんらかの説得力のある反論をすることも信仰者としては大切なことでしょう。



戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」

「『御本尊七箇相承』から考える」



反論をされる場合、きちんと文献や史料を提示して客観性のある議論をするのが正しいのですが、日蓮正宗の方はそれができない方が多いですね。大声で叫んだり、感情的になったり、黙ってしまったり、「私は御法主上人に信伏随従します」と言ってみたり……全く客観性のある答えが出てこないし、生産性のある議論にならないんですよ。
私は僧籍にあるわけでもないですし、ただの非活の一創価学会の会員に過ぎません。こんな私の論文にもならないようなブログ記事なんて、すぐに反論くらいできそうなものなんですけどね。Facebookのコメント欄に『慧妙』の画像を貼るだけでは反論にもなりませんよ。自身の言葉で語ることができないほど教学力が低いのも大いに問題かと思います。


私は別に日蓮正宗の信徒の方と対話をするのを拒んでいるわけではありません。ただ生産性の高い議論ができる人は日蓮正宗の中では少ないと思っています。まともに御書も読んでおらず、きちんと反論できる方がほとんどいないんですよ。


繰り返しますが、日蓮正宗の教義には決定的な矛盾があります。戒壇本尊の相貌と『御本尊七箇相承』との相違一つでも明らかです。その矛盾にきちんと目を向けなければ、"広宣流布"なんて言ってみたところで、世間的には「ただの盲信者の世迷いごと」と思われても仕方がないと思います。








選挙における勝利至上主義。





いつもみなさん、ありがとうございます。

創価学会の活動家は現在都議選モードです。
都内に友人がいないか、ひたすら数えてますよ。
なんでも今回の選挙は「公明党にとって非常に厳しい選挙」だとのこと。
そんなこと選挙の度に毎回言ってますよね(笑)。


思うんですけど、選挙支援の戦いに普通の会員を巻き込まないでほしいんですよね。
別に公明党の支援をするかどうかは個人で決めますから、マルKを増やす戦いだのなんやかんや騒がしくしないでもらいたいです。
別にみんながみんな、公明党を支援しているわけではないですよ。
学会員全員が「公明党を支援すべし」なんて前提に立って話されても、単なる思想統制じゃありませんか。


それにそもそも公明党が勝つか負けるかは基本的に公明党の問題であって、創価学会の問題でもないと思うんですよね。
国民の広範な支持を得る方が政党としては大切なことなのであって、何も一つの支持組織が血眼になって友人票の掻き集めに躍起になる必要はないでしょう。


ところで、今の創価学会の選挙戦の基礎を作ったのは実は若き日の池田参謀室長なんですよね。


組織の票読みをして徹底して家庭訪問に入る。そういうドブ板選挙をやってきたのが池田氏でした。そして関西の創価学会がそこに純粋に乗っかったわけです。


今の創価学会の選挙戦は基本的に池田氏が関西でやってきたことを踏襲しているに過ぎないんだと思います。
まあFやらZやらマルKやら、いろんな戦い方をするようになりましたけど、基本的に池田氏が関西でやってきた戦いを現代において踏襲しているだけなのです。


池田氏の考え方では「勝つ」ことが至上命題であって、数字的に「勝つ」ために目標数を決めて、日程から勝利を逆算していきます。
しかしながら、そこでは政治的な思想の深まりとか、仏法の現代的意義とか二の次なんですね。
選挙で「勝つ」ことを至上命題にしてしまったので、思想的に公明党がどうあるべきかという議論がされないまま、数字としての票だけを絶対視してしまったのです。


世間一般から公明党に対する低い評価に出会うことがありますが、その原因はまさにその点にあるのではないでしょうか。すなわち勝利至上主義であり、公明党の政治的な立ち位置とか、政治的な思想の深化とかを支持者たちがなんら示すことができていないことが背景にあるのではないかと私は考えています。


その遠因は何かといえば、間違いなく池田参謀室長の関西での戦いで示された勝利至上主義です。
結局のところ、池田氏の勝利至上主義、票数の至上主義を総括し、深い反省をしない限り、公明党に対する反発はなくならないと思います。



日寛由来の創価の教義。




いつもありがとうございます。
さて先日のブログで書いたように創価学会の教義としては基本「池田名誉会長」と「日寛教学」しか残っていないと書きました。


特に創価学会内部の信濃町に批判的な人たちは、基本の教義がこの二つしかないのでどちらかを批判されると突然怒り出すか、ひたすら否定し出すか、そのどちらかしかありません。信仰を客観視できずにトランス状態になる方も少なくありません。


ところで「池田名誉会長」を否定できないのは精神構造的によくわかるけど、「日寛教学」なんてほとんどの人は知らないのでは?というご意見がありました。
確かにそうですよね。日寛の教義として教えられてきたわけじゃありませんから。
しかし創価学会でよく言われるような以下の3点の思想や考え方などは、基本大石寺26世日寛の教義に依存したものです。



1、「祈りとして叶わざるなし」

これは日寛の『観心本尊抄文段』に出てくる言葉です。つまり御本尊に願えばどんな願いも叶うんだという指導は、実は日寛の教義を下敷きにしています。


2、勤行の方便品と寿量品読誦

勤行において方便品と寿量品を読む意義は日寛の『当流行事抄』において説明されています。ですから学会員が毎日やっている勤行の形態は基本日寛教学です。


3、日蓮本仏説

日有にあった日蓮本尊説から一歩飛躍し日蓮を「末法の本仏」とまで祭り上げました。これは恵心流の中古天台口伝法門における「釈迦=迹仏」「天台=本仏」の考え方の剽窃であり、簡単にいうとパクリであります。



他にもたくさんあります。

数珠の形とか、
人本尊・法本尊の考えとか、
自受持用報身如来とか、
種脱相対とか、

基本、日寛は創価学会アイデンティティに深く根ざしている部分が多いので、それを否定することができなくなっているんです。


要するに毎日方便品と寿量品読んでる時点で、やってることは日寛の教義と変わらないということです。



追記:
余談ですが、日寛の思想を推し進めると信仰者の純粋な信仰にこそ血脈が通うというロジックが出てくるとは思います。例えば『当体義抄文段』には「我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」としています。
ですから「信心の血脈」を主張し、池田名誉会長を絶対視することが真の信心であるとする考え方は、日寛教学のややボナパルティックな解釈であると考えられますね。





日蓮宗興門派としての大石寺。




いつもみなさん、ありがとうございます。

さて大石寺は"日蓮正宗"と呼ばれていますけど、本来もともとはそんな宗派は存在していませんでした。大石寺は総本山でもなく日蓮宗興門派の一つに過ぎなかったんです。
ただ大石寺そのものは独立を主張し続けて、独自性を訴えてきたんですが、明治政府にも興門流の他の本山にも相手にされませんでした。
54世日胤も独立を訴え、55世日布も内務省に独立を訴えたのですが、事実上退けられます。


明治17年の興門八山会議において大石寺は自分たちの「血脈相承の正当性」を訴え、自分たちこそが"総本山"であると主張しましたが、他の七本山には受け入れられませんでした。


大石寺が独立するのはその後の明治33年のことで「日蓮宗富士派」と称していました。その後宗門の名称の検討が宗内で行われ、明治45年(1912年)6月7日に57世の日正の代に「日蓮正宗」という名称が決定されることになります。



ここで私が書きたいことは、大石寺の独立を明治政府も、興門流の他山も認めなかったという点です。
明治政府から見れば大石寺は他の本山同様、日興門流の流れに属し、そして宗義的にも他の本山からの影響下にあります。
また他の七本山も決して大石寺の血脈の正当性を認めてはいませんでした。すなわち北山本門寺西山本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺、京都要法寺保田妙本寺伊豆実成寺大石寺の血脈の正当性を認めなかったということです。


北山本門寺や京都要法寺からみれば、富士大石寺もまた自分たちと同じ興門流の一派に過ぎず、その独自性などなんら省みられていません。

そもそも以前ブログで書いたように"日蓮本仏説"はもともと大石寺の教義には存在せず、9世日有の日蓮本尊説を堅持していました。日蓮本仏説は保田妙本寺の日我が先行して主張していまして、大石寺はそれを吸収し、最終的には日寛により自宗の教義として作り上げられたものに過ぎません。



「法灯連綿」とか言いますけど「法灯連綿」にせよ「法水写瓶」にせよ、他宗門で普通に使われる教義であり、大石寺独自のものではありません。


ですから自分たちで教義を作ったというより、いろんな山からの影響と盗用により自分たちのアイデンティティを形成してきたというのが大石寺の偽らざる実態かと思います。







日蓮は民衆仏法ではない。




いつもありがとうございます。


さて真蹟遺文中から判断される日蓮の思想は、とても民衆仏法とは言えません。
日蓮は民衆を相手にしていません。日蓮が相手としているのは武家社会であり、鎌倉幕府です。


民衆が嘆いているからこそ国にはすべきことがある、という視点は日蓮に存在します(例えば『立正安国論』や『守護国家論』がそうですね)。しかしそれだからといって日蓮の思想を"民衆仏法"とするのは早計でしょう。


遺文からみても日蓮が民衆と交流したという形跡など少しも見出すことはできません。
つまり日蓮の思想は民衆仏法ではないのです。
題目という修行法を作ったことは事実です。しかしそれは易行道の一つとは言い得るかもしれませんが、それが直ちに民衆仏法であるとは言えないでしょう。


『一代五時図』などから明らかなように弟子たちには講義のための図を表し、天台の五時八教説から経典を判釈して教えていました。相手は弟子か武家等であり、文字が読めるものたちです。武家の尼たちには仮名書きで書いています。
日蓮が民衆と交流したとされる証拠は何一つありません。武家に対して大師講を開き、布施供養を頂いたら返礼の手紙を出すに過ぎません。


日蓮の著作は民衆に読めるものではありません。事実、創価学会の方はほとんど読めていないではありませんか。
守護国家論』とか内容をちゃんと把握しているのでしょうか。そもそも『立正安国論』は『守護国家論』を要約したものです。そういったこともきちんと知るためにはある程度の学習が必要です。ですから『立正安国論』にせよ『守護国家論』にせよ、鎌倉幕府武家を相手に書いたものであって民衆を相手になどしていないのです。
日蓮の遺文には「民衆が中心」という視点は存在しません。日蓮のスタンスは国家をどうするか、その思想的基盤をどうするかというところにあります。


創価学会が勝手に言っている「民衆の教学」とか「誰でもわかる仏法」などというものは日蓮の考え方ではありません。日蓮の思想はそもそも民衆に向いていません。日蓮が意識していたのは常に国家であり、武家社会なのです。
いいかげん、創価学会が勝手に主張している「民衆仏法」という概念を日蓮から切り離した方がよいと思います。