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創価学会の非活メンバーによる語り

『御本尊七箇相承』から考える。




『御本尊七箇相承』では御本尊の書き方についてどのように記されているかを簡単にまとめてみました。


1、十界互具として以下が挙げられる。
釈迦多宝、上行等の四菩薩、舎利弗、大梵天王、転輪聖王、阿修羅王、龍女龍王、十羅刹女提婆達多。ただしここでは説明のみで御本尊に「書くべし」とはされていない。

2、点を長く引くこと。

3、天王の王の字は必ず点を打って「玉」とすること。

4、梵字は不動と愛染に限ること。

5、日蓮御判と必ず書くこと。

6、上行・無辺行と持国天の間、浄行・安立行と毘沙門天との間には「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」と書くこと。

7、「仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なり」と日蓮が書いたままに書写することこそが御本尊書写であること。

まあ、だいたいこんな感じです。



ところが、まあこの通りに書いていない御本尊なんて山ほどあるんですよ、はい(笑)。
一番厄介なのは弘安2年戒壇本尊です。簡単に上記の7点についてまとめてみますね。

弘安2年戒壇本尊
1、◯  十界は書いてある。
2、◯  点は長く引かれている。
3、◯  王の点は打たれている。
4、◯  梵字で書いてあるのは不動愛染のみ。
5、◯  日蓮と花押が書かれている。
6、×    書かれていない。
7、×    「仏滅後二千二百二十余年」


根本としなければいけない戒壇本尊がまず『七箇相承』と相違しています。


次に客殿安置の日興による御座替本尊(正応3年10月13日)はどうでしょうか。

御座替本尊
1、△  提婆達多のみ抜けている。
2、◯  点は引かれている。
3、◯  王の点は打たれている。
4、◯  梵字で書いてあるのは不動愛染のみ。
5、◯  日蓮御判と書かれている。
6、◯  二文とも書かれている。
7、◯  「仏滅度後二千二百三十余年」


御座替本尊は提婆達多が勧請されていないことを除けば、ほぼ『七箇相承』の指示通りに書写されています。提婆達多等の十界の衆生について『七箇相承』では説明があるのみで必ず書くべきとは書かれていません。
したがって『七箇相承』を真蹟と判断する日蓮正宗の教義で考えれば、最大の問題点は戒壇本尊そのものになります。


次に正中3年書写の日目による本尊(小泉久遠寺蔵)を見てみます。


正中3年日目書写本尊
1、×   舎利弗阿修羅王、龍王、提婆達多が抜けている。
2、◯  点は引かれている。
3、◯  王の点は打たれている。
4、◯  梵字で書いてあるのは不動愛染のみ。
5、×    「日蓮聖人」と書かれている。
6、×    書かれていない。
7、×    書かれていない。


ちなみにこの日目書写本尊は日興在世中の書写本尊ですが、『七箇相承』とほとんど一致しません。そもそも日興が「日蓮御判」と書いているのに「日蓮聖人」としているのは大きな問題でしょう。しかも『七箇相承』でそのままきちんと書くこととされている「仏滅度後二千二百三十余年」の一文さえ全く書かれていません。


以上の観点から以下のように考えられます。
①『七箇相承』そのものがそもそも後世の偽書である。
②『七箇相承』が真蹟であるとするなら、弘安2年戒壇本尊が後世の偽作である。
③『七箇相承』が真蹟であるとするなら、日目は先師違背になる。
④『七箇相承』が真蹟であるとするなら、正中3年の日目書写本尊を許した日興は『七箇相承』に違背することになる。


論理的に考えても①から④のどれかを取るしかないと思いますね。



追記:1
この『御本尊七箇相承』の「七箇」という言葉って、天台口伝法門の「七箇口伝」にそっくりです。
日蓮正宗の教義そのものもたとえば「日蓮=本仏」「釈迦=迹仏」一つとってみても、天台恵心流口伝法門で「天台=本仏」「釈迦=迹仏」とするところがそっくりです。
ですからやっぱり現今の日寛教学って、結局天台口伝法門のパクリなんだと思いますよ。天台宗の方に失礼な話です。


追記:2
まあ日蓮正宗の方はこういうことを言われると「それは御法主上人の内証の問題」だとか言い出すんですよ(笑)。
まあね、「内証」なんて言われちゃったら全部説明がつくわけです。御本尊の一文字一文字も全部法主の内証から書かれているもので、表面の字面に囚われてはいけないってことでしょう。
ただそうなると、日蓮正宗が対外的に教義を広めていくとするなら、果たしてその「内証」という説明は公式なものとして誠意ある説明になり得るのかというのが率直な疑問です。
やはり矛盾は矛盾として認めた方がいいと思うんですよね。それが誠意ある信仰者の態度でしょうし、そうでなければ教団を仏様扱いにした創価学会の無反省ぶりとなんら変わるところがありません。
やはり日蓮正宗方って「確かに戒壇本尊と七箇相承は矛盾しています」とか「七箇相承は偽作かもしれませんね」とか、そういう誠意ある総括ができないのかもしれません。対論で負けることが悪いのではなくて、教義として矛盾するならそこに真摯に向き合うことが真の信仰者の態度かと考えます。