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創価学会の非活メンバーによる語り

日蓮本仏論について




日蓮本仏論について。



1、はじめに


創価学会は基本、日蓮本仏論を採用してきた。この教義は日蓮正宗の教義であり、この教義の完成者は大石寺26世法主・堅樹院日寛である。


ところで、創価学会員にはにわかに信じがたい事実であるが、日蓮本仏論は日寛により天台宗の恵心流の口伝法門をほぼ盗用して作られた教義である。これは多くの研究者が指摘しているように、天台宗・俊範の流れを汲む仙波談林の口伝、天台本仏論をそのまま日蓮本仏論に置き換えただけもの。後述するように、そもそも日蓮、日興には日蓮を本仏とする思想は存在しない。


ではなぜ日寛がそのようなことを行なったのか。これは左京日教、また日寛以前の北山系法主の影響があると考えられる。
当時大石寺には体系づけられた教義らしい教義は存在しなかった。確かに日蓮本仏思想に近いものは大石寺9世日有のいくつかの文章に見られるが、体系化されたものではない。17世日精は両巻血脈抄において日興、日代、日尊、日順に相伝がなされたとしており、この頃にはすでに血脈抄は"偽作"されていた可能性が高いが、日精本人はまだ釈迦仏造立を認めており、やはり日蓮本仏論が明確だったとは考えにくい。
そこへ堅樹日寛が現れた。26世日寛は教義が明確でなかった大石寺を立て直した中興の祖とされる。体系化された教義が未だなかった大石寺に明確な日蓮本仏論、本門戒壇本尊論を確立させた彼は、強い信仰心からこれらの教義確立を行なったと考えられる。


だが例え日寛の教義の体系化が強い信仰心に基づくものだったとしても、日興の遺文中にも思想にもこの日蓮本仏論の思想は見られず、日目にもこれらに関する言及は見られない。
創価学会では「五老僧は日蓮大聖人が本仏であることを知らない」等と言うが、そもそも日蓮が本仏であるとする日興の遺文は存在しないのである。後述するが、日興本人でさえ日蓮を本仏と見なしてはいない。「久成の釈迦仏」と表現もしている。
日寛に先行して日蓮本仏論の萌芽が現れるのは、富士大石寺日有、それ以降は保田妙本寺日我等になる。しかしまだ体系化されたものではない。
日蓮本仏論をそのまま弘安2年の戒壇本尊と結びつける教義の完成は、まさに大石寺堅樹院日寛の出現を待たねばならない。まさに彼によって大石寺の教義は天台口伝を換骨奪胎することで偽作され、それにより同寺のアイデンティティとして確立されることとなる。


創価学会日蓮正宗から独立し、別教団となった以上、このような創作の教義、根本の日蓮大聖人とは何も関係がない日蓮本仏論のような教義とは決別することが必要であると筆者は考える。



2、天台宗恵心流の口伝と日寛教学の形成


そもそも比叡山に入山される折、蓮祖聖人は俊範に師事している。
俊範は天台宗山門派の恵心流の流れを汲んでいた。


天台宗は当時、山門派と寺門派の争いの渦中にあり、そのような混迷の中、日蓮比叡山に入った。山門派もまた源信の恵心流と覚運の檀那流の二つの流れが存在し、その流れもまた様々に別れていた。
ここで簡単に言うと、恵心流は本覚思想で仏の境涯から一切衆生の仏性を見ようとし、檀那流は始覚法門であり、凡夫が修行の後に仏になれるという立場をとっていた。



創価学会の会員の方にわかりやすく言えば、檀那流が法華経の文上の立場に立っており、恵心流が法華経文底の立場に立っているという感じである。
そもそもこのような説明は日寛教学による恵心流の盗用なのであって、この説明が学会員にとって理解しやすいという事実は、日寛が恵心流をまさに盗用して自らの法門を体系化したその逆証明とも言い得る。
したがって創価学会の教学は、会員が信じると信じないに関わらず、日寛教学に影響されており、日寛教学抜きには創価学会の思想が成立しないほどのものである。


比叡山における日蓮の師匠、俊範法師は弟子の中に檀那流もいたことから、恵心流と檀那流の両方の流れを修めていた。俊範の立場としては念仏、禅、真言法華経に劣るという立場であり、ここから日蓮の思想形成はあと一歩といったところである。つまり日蓮は俊範法師のもとで、高度な天台教学を学びつつ、法華第一の自身の思想を確立していったということである。


堅樹院日寛は日蓮本仏を「久遠元初自受用報身如来」と表現する。しかしこの表現は蓮祖の遺文中にも日興や日有の文献にも見ることができない。

実はこの「久遠元初自受用報身如来」という表現のオリジナルはこの恵心流口伝法門の中に見られる。以下、早坂鳳城氏の日蓮本仏論の構造の研究に依拠して引用しつつ、論を進める。

すなわち俊範の『一帖抄』によれば


「自受用報身如来以顕本為正意也」


とあり、また『二帖抄』には


「以来報身自受用為顕本正意相伝也」


とある。すなわち「自受用報身如来」という表現はどこが由来かと言えば、それは天台恵心流口伝法門から来ているのである。


また「等海口伝抄」によれば


「当流住前習智一心三観故。本因妙有住習也。而約菩薩界論本因本果。約仏果論本因本果不同可習分也。」

「俊範御義云。釈尊本因行者。不軽菩薩也。此菩薩教導本来有善者方化他也。有界内穢土修行止観方自行也。是名本仏行因也。本因行時能化仏者。止観本尊也。実相也。一心三観也。阿弥陀也。無作三身也。能化本仏無作三身也。本果仏云成此仏也。無作三身者。別無名仏也。故経釈不出其名也。」


ここでは「本因行の時の能化の仏」はそのまま「止観の本尊」と同義であり、同時に「無作三身」であることが説かれている。この本因の仏は本果の仏と同じものであるとされている。
つまり「本化地涌の菩薩」である日蓮が「本因妙の教主」であり、そのまま「本仏」であるとする思想は、これらの口伝をもとにして創作されたものと容易に察することができる。


大石寺に伝わるとされる「御本尊七箇相承」では、唯授一人の口伝として七箇の相伝を強調するが、もとはと言えば「七箇の相承」という用語も天台口伝法門に用いられる言葉である。


早坂鳳城氏の研究によれば、恵心流・中古天台の口伝法門と大石寺教学とは用語の関連上、以下のような対応が見られる。


中古天台(恵心流)    →    大石寺教学(日寛)

止観勝法華    →    文底勝文上
寿量品の内証    →    寿量品の文底
自受用報身(天台)    →    自受用報身(日蓮
七箇の大事    →    七箇の大事
切紙相承    →    切紙相承
本因行の能化    →    本因妙の教主
嫡流一人秘すべし    →    唯授一人秘すべし
五百塵点最初    →    五百塵点当初


つまり中古天台口伝法門では、天台を本仏と捉え、釈迦は仮の仏と考える。同じように法華経は仮の教えであり、その内実は止観であると考える。まさにこれを置き換えると創価学会および日蓮正宗の現在の教義になるのである。この内実は実は日寛によって作られたものであり、天台口伝法門を用語で言い換えたものに過ぎないのである。



3、蓮祖、日興他の遺文から


日蓮の御書には日蓮本仏論はどのように説かれているか。古来、日蓮正宗創価学会は「開目抄」の「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」を主・師・親と読み、ここからこれを主師親の三徳を持つ本仏としての宣言としてきた。
だが、仮にこの「しうし父母」を「主師親」と読むのが正しいとしても、ここから主師親の三徳を持つものがそのまま釈迦を越えた本仏であるとする論理を日蓮が述べたことはないし、そのような解釈もまた論理の飛躍である。その証拠に「撰時抄」には次のようにある。


「此の事一定ならば闘諍堅固の時・日本国の王臣と並びに万民等が仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき(中略)されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり」
日蓮「撰時抄」『日蓮大聖人御書全集』創価学会版、265ページ)


ここでは引用部の末文が「主師親の三徳」を持つ宣言となっているが、日蓮はここではあくまで「仏の使い」を自認している。この引用部からは自身が三徳を持つものとしながらも、久成の釈迦の御使として法華経を弘めているとの自覚を読み取ることができる。どう読んでも日蓮自身が釈迦を越えた本仏であるという文脈は出てこない。


また日興の遺文中ではどうか。


「今日蓮聖人は共に本化垂迹の師檀となって迹門を破して本門を立てて末法を利益し国土を治む可き之を図す。
本門の寺  付属の弟子  上行菩薩  日蓮聖人。」
(日興「三時弘教次第」堀日亨編『富士宗学要集』第1巻49ページ、創価学会


とあり、日興もまた日蓮を本仏として考えてはいない。
また「原殿御返事」には以下のような一文がある。これは身延を離れる時に身延の釈迦像造立について述べられた部分である。


「此れのみならず日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道殿御微力を以て形の如く造立し奉らんと思召し立ち候を、御用途も候はずに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代りに、其れ程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様は、責めて故聖人安置の仏にて候はばさも候なん。それも其の仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。」
(日興「原殿御返事」『編年体日蓮大聖人御書』1732〜1733ページ、創価学会版)


日朗が日蓮滅後に一体仏の像を安置したのを見て、波木井の原氏もまた釈迦像を造立しようとした。日興はこれに対し、一体仏の造立は始成の釈迦仏ゆえに不可とし、四菩薩を伴った仏像の造立ができるまでは、日蓮御筆の紙幅の曼荼羅を以って仏像の代わりにしてもなんら問題はないと述べている。
つまりここでの日興の思想は仏像を否定するものではない。むしろそれが始成の仏でなく四菩薩の脇士を伴う久成仏であれば、それは曼荼羅の代わりとできるということである。
「報恩抄」における「本門の教主釈尊」とはまさにこのことを述べているのであり、それゆえ日蓮系教団では紙幅の曼荼羅とともに仏像の造立形式を認めているのである。



では日蓮正宗において、日蓮が自身を「自受用報身如来」の本仏として述べた御書として認められているものは何か。それこそまさに『本因妙抄』である。「本因妙抄」「百六箇抄」以外に明確にこの日蓮本仏論を述べた御書は存在しない。


まず「本因妙抄」は偽作説がほぼ確定している。この書は伝教大師最澄の「三大章疏七面相承弘決」を基にして書かれたものであり、内容はほぼ盗用と言ってよい。そしてこの伝教の弘決そのものさえも偽書の疑いが濃厚なものなのである。


前述したように大石寺17世・日精は両巻血脈抄をもって日興、日代、日尊、日順に相伝がなされたとしており、この頃にすでに血脈抄が創作され、存在していたと考えられる(日精によれば日蓮からの血脈相承はこの4名に為されており、すでにこの時点で唯授一人とは言えず、唯授一人という教義も後代の創作であろうと推察される)。
この「本因妙抄」には大石寺6世日時の古写本が存在する。しかしこれはその筆致から日時筆を疑問視されており、後世の作の疑いもある。


この写本を真蹟と仮定して、日時による"本因妙抄創作"説も存在する。というのも日時は仙波談林で台家を修学しており、仙波に伝わる恵心流口伝法門を学んでいたことは間違いない。そこからこの「本因妙抄」の創作が起こったとの仮説も成り立つことは多く指摘されている。



内容からも偽書の疑いは強い。
例えば本書では六老僧への言及があるが、六老僧の選定は弘安5年10月8日であり、弘安5年7月執筆の本抄に六老僧への言及があるのは時間軸として矛盾がある。



さて「本因妙抄」には以下のような記述が見られる。


「予が外用の師伝教大師生歳四十二歳の御時、仏立寺の大和尚に値ひ奉り、義道を落居し生死一大事の秘法を決し給ふ。曰く、大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日、三大章疏を伝へ各七面七重の口決を以って治定し給えり。」
(「本因妙抄」『日蓮大聖人御書全集』創価学会版、807ページ)


「大唐貞元二十一年」は西暦805年であるが、これは本文の改竄である。


実際の日時写本は「大唐貞元二十四年」となっており(堀日亨編『富士宗学要集』第1巻口絵参照)、また『三大章疏七面相承弘決』でも伝教は「大唐貞元二十四年」(西暦808年)に唐で相伝を受けたことになっている。


筆者は創価学会版御書で「貞元二十一年」とあるのが誤植ではないかと一瞬驚いたのだが、この「二十一年」の記述は『富士宗学要集』第1巻所収の「本因妙抄」本文でも同様「二十一年」となっている。つまり口絵の写真に見られる「二十四年」から日蓮正宗では「二十一年」に「本因妙抄」本文が改竄されているのである。


なぜこのような改竄が行われたのか。それは実際の史実と記述が異なってしまうからである。
日蓮の「報恩抄」には


延暦二十三年七月御入唐西明寺の道邃和尚仏滝寺の行満等に値い奉りて止観円頓の大戒を伝受し霊感寺の順暁和尚に値い奉りて真言相伝し同延暦二十四年六月に帰朝して」
(同304ページ)


延暦23〜24年は西暦804〜805年に相当する。
日蓮の「報恩抄」の記述によれば、伝教は西暦805年に日本に帰ってきていることになる。これは「伝教大師伝」の記述とも一致する。
そうであれば「808年に唐で相伝を受けた」とする「本因妙抄」の記述は矛盾になってしまうのである。そのため、富士門流ではこの記述をあえて改竄したと考えられる。
これが改竄である証拠は明快である。上述の日時の写本では「二十四年」と書いてあるのは事実であり、富士宗学要集第1巻の口絵写真からも明白に「廿四年」と読み取れる。
しかも、これがもし仮に「大唐貞元二十一年」であるとするなら伝教大師の年齢は「四十二歳」ではなく「三十九歳」でなければならず、干支も「乙酉」ではなく「壬午」でなければならないはずである。それがそのままになっており、「本因妙抄」の記述ですでに史実との矛盾が生じているのである。


以上のことから「本因妙抄」は偽書説が確定される。同時に日興の著作とされている「本因妙抄弘決」も後世の創作であり、偽書であることは明白である。
伝教の著作としては偽書である『三大章疏七面相承弘決』の記述をそのまま写して「本因妙抄」が創作されたのは誠に不名誉な日蓮正宗の歴史と言うほかない。



4、結語として、今後の創価学会の課題


このように、後世に創作された日蓮正宗の教義を果たして創価学会が今後も維持して良いのかという問題になる。つまり日蓮の法門でないものが広宣流布されたとして、それは本当の意味で広宣流布なのかということになってしまう。


では、日寛が富士門流の教義を創作したことは間違いであったのだろうか。
私個人の私見に過ぎないが、そこには悪意と言うより日寛本人の強い使命感があったものと考えている。
日寛はそもそも教学を持たなかった大石寺門流に初めて独自の教学を確立させることに成功した。そこには富士門流管長としての、また日興門流としての強い使命感があったのだろうと考えられる。


だが、それにしてはあまりにも文書の改竄が過ぎる。当然ながら日蓮本来の思想でないものを折伏によって弘めても、それが広宣流布とはならない。
最新の学問の成果、史学的な研究の成果を取り入れ、矛盾しないものへと、創価学会も改革を果たさなければいけない。そのためには個々人の教学を深めることにより、大きな教学の流れを生み出さなければなるまい。






追記1
ここではあまりに煩瑣に渡るため『百六箇抄』や『御義口伝』『産湯相承事』等の偽書説の問題に立ち入らなかったが、それについては別稿を期したい。ただ御義口伝といい、百六箇抄といい、最古の写本が他山流であることが堀日亨氏の富士宗学要集からわかっている。唯授一人の大石寺の血脈のはずが、保田妙本寺に伝わっていたり、最古の写本が八品派の写本でしかも蓮祖滅後数百年後のものであったりすれば、それでは文献の正当性を対外的に主張できないことを日蓮正宗創価学会も自覚すべきである。そのことが日蓮正宗、就中創価学会日蓮系教団から孤立させ、国内における宗教間対話を困難なものとしていることを自覚すべきであるとは筆者は考える。
なお天台口伝法門について述べる際、上記の論中では『一帖抄』については俊範の著作としているが、これは花野充道氏の論文「日蓮と四重興廃」(『印度学仏教学研究』第51巻第1号)に依拠している。花野氏の説によれば『二帖抄』は心賀談、尊海相伝となるが、ここではあえて断定を避けた。大方の御叱正、御批判を賜れば幸いである。


追記2
私の論は日蓮本仏論を否定し、日蓮正宗の教学とりわけ日寛教学から離れようというものだが、多くの異論があってよいと考えている。大切なことは学会員が各自で自身の教学を鍛え、多くの教学の人材を学会より出すことだと考えている。その意味では今の創価学会本部が教学運動を推進しているとは到底思えないし、現在の創価学会の教学力は崩壊しているとさえ思える。
ただ感情的な否定ではなく、きちんと文証を挙げ、学問的な研究の成果を否定しない反論であれば私は大いに歓迎したい。むしろこのような論を筆者がここで挙げたのは、創価学会会員、幹部たちのどうしようもない教学力の低下という事態を痛感していることにある。








参考文献
◯堀日亨編『日蓮大聖人御書全集』創価学会
創価学会編『編年体日蓮大聖人御書』創価学会
◯堀日亨編『富士宗学要宗』全10巻、聖教新聞社
◯早坂鳳城「日蓮本仏論の構造と問題点(一)ー恵心流口伝法門との関係を視点としてー」『日蓮宗現代宗教研究所所報』日蓮宗現代宗教研究所
◯執行海秀『日蓮宗教学史』平楽寺書店
◯執行海秀「初期の興門教学に於ける本尊意識の展開」『清水龍山先生古希記念論文集』
◯執行海秀「中古天台教学より日蓮聖人教学への思想的展開」『大崎学報』100号
◯水谷進良「堅樹院日寛教学の一考察」『立正大学大学院年報』
◯花野充道氏「日蓮と四重興廃」『印度学仏教学研究』第51巻第1号