いつもみなさん、ありがとうございます。
「血脈」とは「水魚の思い」をなすことが大切なんだそうです。私もかつてそう教わりました。
けれど考えてみると「血脈」という語は日蓮の真蹟遺文には全く出てこない語であります。
「血脈ってやめません?」
「血脈」という語が使われる御書をあげると、以下のようになります。
『立正観抄』
『立正観抄送状』
『百六箇抄』
『本因妙抄』
『生死一大事血脈抄』
『身延相承書』
全て見事に真蹟が存在しません。
つまりここから考えるに「血脈」なる語が日蓮の思想中にあったとしてもそれらは傍系の思想に過ぎず、信仰上さして重要性があったとは言い難いということかと思います。
どっかの宗派の言っている日蓮解釈でもまあ構いませんけど、少なくとも私は日蓮門流を名乗る以上、日蓮真蹟遺文に即してそれが果たして本当に日蓮の思想と言えるのかという検証をきちんとしなければいけないと考えます。それこそが信仰者としての誠実な態度ですし、そもそもそういう過去の検証を怠ってきたのが創価学会や大石寺の偽らざる歴史なのではないでしょうか。