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さて今回は血脈抄とも呼ばれる『百六箇抄』の写本の問題です。果たしてこれが大石寺に伝わっている血脈の証拠と言えるのかということを検証してみたいと思います。
『百六箇抄』は後世の加筆が多く、どこまでが本来の『百六箇抄』なのか判然としませんが、加筆部分の末尾の内容を全面的に信用するならば次のように相伝されてきたと考えられます。
弘安3年1月11日、日蓮から日興へ。
正和元年10月13日、日興から日尊へ。
康永元年10月13日、日尊から日大・日頼へ。
要法寺日辰の『祖師伝』には「日尊伝」の項で、日尊から日大と日頼に付嘱したとされていますから、これは『祖師伝』の記述とも一致します。
上記の点を総合すると、以下の推論が成り立つかと思います。
2、従って真蹟がかつて現存した場所を基準にするなら、日興の血脈は北山本門寺に伝わっていることになる。
3、仮に『百六箇抄』の末尾の加筆部分を真蹟と判断するならば、日興の血脈は日尊以降、京都要法寺に伝わっていることになる。
ということで、『百六箇抄』の相伝血脈というものがいかに対外的に信用性が低いかということがよくわかるかと思います。