気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

万年救護本尊について。

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千葉の保田妙本寺には、蓮祖文永11年12月書写のいわゆる"万年救護本尊"が存在します。
これは日蓮直筆の脇書において唯一「大本尊」と記されている本尊になります(画像参照)。


(万年救護本尊の脇書)
「大覚世尊御入滅後、経歴二千二百二十余年、雖尓月漢日三カ国之間、未有此大本尊、或知不弘之、或不知之、我慈父、以仏智、隠留之、為末代残之、後五百歳之時、上行菩薩出現於世 始弘宣之。」


読んでわかる通り、釈尊法華経如来寿量品の記述から「我が慈父」とし、上行菩薩出現の後に「之を弘宣し始む」べき「大本尊」とされています。


富士門流の考え方では、この本尊は日蓮から日興、日興から日目、日目から日郷、そして日郷から保田妙本寺の歴代貫首に伝承されてきたとしています。つまり大石寺においてもこの本尊は日蓮が日興に授与した本尊であるとしているということです。
例えば富士学林の『日蓮正宗富士年表』においても「弘安二年、日興に文永1112月の本尊(万年救護本尊)を賜う」(『富士年表』45ページ)となっています。



また大石寺第17世日精の『富士門家中見聞』でも「又弘安二年に三大秘法の口決を記録せり、此年に大漫荼羅を日興に授与し給ふ万年救護の本尊と云は是なり、日興より又日目に付属して今房州に在り」と記録されています。


ということは『日興跡条条事』に書いてある「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊並御下文日日に之を授与す」とした"大御本尊"とは保田妙本寺にある「万年救護本尊」と考える方が自然なのではありませんか。


創価学会を退会した方の多くがかつて保田妙本寺にいたことも頷けます。それに保田妙本寺は一時期、日蓮正宗に帰一していた時期もありますよね。現在は分離独立し、単一寺院となっています。このことはちゃんと小説『人間革命』にも出てきます。


ただこの本尊を創価学会が信仰の対象として拝むことは難しいでしょうね。考えられる理由は2点あります。


1点目は、脇書において釈迦を「慈父」とし、釈迦を本仏とする立場を堅持しているということです。この点について日蓮本仏説を唱える創価学会としては教義の再考を要求されるでしょう。


2点目は妙本寺に伝わる日郷の文書において、この本尊に対しての戒めがあることです。


「一、日蓮聖人御自筆本尊一舖文永十一年甲戌十二月  日
一、日蓮聖人御所釈等
一、天台六十巻一部
右法蔵に籠め奉る也、師子相承の族等、代代受学の輩、緩怠の義無く守護し申さ令む可し、若しは猛悪の義を存し、若しは兪盗の思いを成す者は、一門の列中に配し、衆中の交わりを留む可きの状件の如し。
文和二年    日郷判」
(日郷『安房国北郡吉浜村内中谷奉籠置本尊聖教事』日蓮宗宗学全書2-280ページ)


妙本寺においては文永11年本尊を修行本尊とは考えておらず「法蔵に籠め奉る」と戒めています。これは背く者は「日郷門流に非ず」ということでして、事実妙本寺歴代貫主もこの本尊を書写することはしていません。また妙本寺本堂にも安置されているのは日興書写本尊の板模刻のものです。


弘安2年戒壇本尊が後世の創作であるとして、では『日興跡条条事』の弘安2年の「大御本尊」が保田妙本寺の文永11年万年救護本尊にあたるのではないかとする推察も上述の通り可能です。
けれど、日郷に伝わっている相伝では、この万年救護本尊は修行本尊ではないんですね。要するに日蓮上行菩薩の再誕であり、日本が本国土であることを顕示した顕発本尊という立場であって修行本尊ではないというのが、恐らくは妙本寺流の日郷以降、あるいは要法寺流の日蓮本宗等の考え方なのでしょう。




私がここで主張しておきたいのは、何も日郷の考え方が正しいとかそういうことなのではなく、正しい唯一の蓮祖の正当な本尊があるという"幻想"はもうやめにした方がいいですよね?ってことです。
唯一、この万年救護本尊は日蓮自身の筆で「大本尊」と書かれたものですけど、それ以上の意味があるものではありません。
日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。
あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し、後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り、日目が再誕するという神秘的な教義を作りました。基本の教義は日寛による恵心流の中古天台口伝法門を日蓮と置き換えただけの浅薄なものに過ぎません。
ですから保田妙本寺もその神話の創作には加担しないという立場なのでしょう。創価学会からも離れて、日蓮正宗からも離れて、単一の道を選んでいることからもそれは推察できます。



信徒からすれば、確かに完成された教義の方がわかりやすいし、信用しやすい。
ですがそもそも完成された何か特別絶対なものがあるという考えは、創価学会員や日蓮正宗信徒の方の頭の中の"幻想"に過ぎないのです。
私たちは自身で信仰を選び取るべきですし、それこそが真の民衆の仏法の本義であると思います。何も総本山とか宗教団体とかに信仰の担保をしてもらう必要などないのですから。







創価学会の選挙戦②KとFとZ





さて選挙戦が始まると、創価学会活動家の会話にはやたらアルファベットが飛び交います。

「地区の☆☆さん、まだKになってないのよ」
「となりの地区リーダーさん、マルKになってないよ」
「昨日の友人との電話で足立区のFを3つとりました!」
墨田区のF30、そしてマルF3をもぎとりました!」



…………等々の感じです。創価学会員ではない方からすれば、ほとんど暗号みたいなものですよね(笑)。
今日はこのアルファベットの謎を会員さん以外の方にもわかるように書いていきたいと思います。



①K(活動家)のこと。

ここでいう「K」とは「活動家」の略です。とはいってもZU台帳上の名簿上の「K」とは活動家というよりも「投票に行ってくれる確約がとれた人」くらいの意味合いがあります。
活動家は当然「K」扱いですが、以前ブログで書いたように統監上ではたくさんの非活メンバーがいます。なかなか「K」にならないメンバーってたくさんいるんですよ。それをいろんな人脈を駆使してなんとか会い、確約に繋げる。それが「K」を作る戦いです。
加えて「K」に◯をつけて「マルK」となる人もいます。これは確約もとれて友人に支援もお願いしている(つまりFもとっている)活動家のことです。本当の意味での活動家は実はこの「マルK」なのかもしれません。


②F(フレンド票)のこと。

一昔前は「F」というと、組織的には重要な票読みの基礎になっていましたが、今はさほどでもありません。したがって「F」票はずいぶんとざっくりと数えています。
「F」とは「フレンド」のことで、要するに頼んだ友人票の数です。しかし実際のところ口約束で頼んでも、友人の多くが実際には投票しないことは創価学会活動家もよくわかっています。ですからこの「F」は支援の戦いの勢いのバロメーターみたいなもので、票数としては読みに使えないけれど、組織に戦っている雰囲気が出ているか、勢いよく動いているかという一つの指標みたいになっています。確かに「友人でF100を頼んできました!」というと、婦人部なんか喜びますし(笑)、組織の活動家も「俺も頑張らなきゃ」といった雰囲気になったりします。
ちなみに「F」の友人がさらに別の友人に支援をお願いしてくれると、その友人は「マルF」と呼ばれたりします。とはいえ友人で支援を拡大してくれる人というのは少ないので、実際にはマルFはあんまりいません。


③Zのこと。

はい。現在の創価学会の選挙戦で間違いなく最も重要なキーワードはこの「Z」です。現在の創価学会の選挙の勝敗はこの「Z」をどれだけ取るかにかかっていると言っても過言ではありません。
「Z」とは「期日前投票」のことです。実は期日前投票の重要性に気づき、積極的に推し進めたのは創価学会なんですね。
昔は「不在者投票」と言いまして、投票方法も少々難しかった。けれど「期日前投票」となり、投票も容易で、しかも期間が一週間もあるとくれば、創価学会としては「投票期間は一週間あるぞ!」という考え方になるわけです。
もう創価学会はね、勝利至上主義というか、勝てれば何でもいいんです(笑)。
とにかく期日前投票を使って票を上乗せしていこうということで、この「Z」こそが現在の創価学会選挙戦の最大のキーワードになっています。
もしも創価学会員さんに選挙頼まれていて「期日前に投票しますね」とか言おうものなら、学会員さんは泣いて喜ぶと思いますよ(笑)。それくらい現在の創価学会の選挙戦では「Z」は主流になっているのです。
ですから現場では「Z連れ出し確約取れました!」なんて言おうものなら、地域組織では拍手が起こるくらいでして、みんな期日前確約に血眼になって頑張っているのです。
ちなみに期日前確約のことを「Z確」あるいは「Z確約」、期日前投票がすでに済んだことを「Z済み」と呼んだりします。



ほとんどゲーム感覚で必死に組織をあげて公明党候補を押し上げていく戦いは頭が下がります。本当に純粋に応援しているだけであって、こんな支援組織は日本には他にはないと思いますね。自民党候補が選挙区の票をお願いする代わりに比例区での公明党候補への投票を約束をするという理由もよくわかります。これだけ熱心にやってたら自民党だって驚きますって。



ただね、問題点は創価学会員が全く政策とかそういったことに思いを致さないってことなんです。
彼らは(とりわけ婦人部は)、公明党がどういう政策をしているかについて全く考えません。そして組織の人が公明党を応援して当然くらいに考えています。
果たしてそれが現在の日本という国の民主政治にとってプラスなのかってことです。



さらにいえば創価学会は現場レベルでは「公明党への支援依頼は信仰活動の一環であり、功徳がある」としています。そして創価学会本部はその現状を事実上容認しています。
実は長井秀和さんと話した際に長井さん自身が最も問題視していたのはこの点のように思います。


公明党の支援活動って功徳あるんですか?」


これこそが創価学会の選挙活動の最大の問題点かと思います。選挙には功徳があると現場レベルでは教えられ、そこに猪突猛進する会員さんの姿があります。けれどそれが果たして日本の民主政治にとってプラスと言い得るのでしょうか。
公明党の施策も言えない。何も考えていない。そんな盲信の活動家を増やして、票稼ぎに働かせて、それが果たして民主主義の本義と言えるのでしょうか。







戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違。

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いつもみなさん、ありがとうございます。


さて弘安2年戒壇本尊が画像解析の結果、弘安3年日禅授与本尊のパッチワークによる模造でしかないことは先日、ブログで書きました。



ところで、それでも構わないという方もいることはわかります。
曰く「日禅授与本尊は疑いなく日蓮真蹟本尊であり、その模写なら問題はない」ということです。
確かにそうですよね。日蓮門流なのであれば問題はなさそうです。
しかもあの大きさの板に彫るということは本当に大変な信仰心からだったと私も思いますし。



でもね、私が上記のブログで問題にしたのはそういうことではないんです。
そうではなくて、日蓮造立でないものを「日蓮真作」と偽り、日蓮造立でないものを「究竟の尊体」「唯授一人の相伝」「帰命依止の大御本尊」と偽り、自山の権威の偽装のために利用した、そういう日蓮正宗大石寺の姿勢を批判しているのです。
悪いのは信徒ではありません。
戒壇本尊を自山の権威の偽装に利用して信徒を騙して嘘をついている、日蓮正宗大石寺の姿勢こそが批判されるべきなのです。



日蓮の真作でないものを「日蓮筆である」と平気で嘘をつける感覚を私は軽蔑します。
およそ宗教者としての誠実さに欠ける振る舞いです。
それは純粋に信仰している信徒の方を騙す行為なのではありませんか。
純粋な信徒の方をあまりに愚弄しているではありませんか。
私はその大石寺の姿勢は批判されるべきだと考えます。



すでに弘安2年戒壇本尊が弘安3年日禅授与本尊のパッチワークであるという事実は否定のしようのない決定的な"事実"です。そしてその事実をひた隠しにし、信徒に対してそれが日蓮真筆本尊であるかのように嘘を言い続ける行為はおよそ宗教者としてあるまじき行為であり、日蓮を利用する行為であり、また戒壇本尊の本来の造立者"弥四郎国重"に対しても、礼を失した行為であると私は考えます。



もはや後世の創作説は揺るがないと考えますが、今日はあくまで傍証として戒壇本尊の文体からいくつか『御本尊七箇相承』との矛盾点を書いていきたいと思います。
どうか一人でも多くの日蓮正宗信徒の方が、真実に目を向け、本当のことに目覚めてほしいと願ってやみません。これ以上人生を無為に費やすことはありません。弘安2年本尊は偽物なのです。



1、有供養者福過十号と若悩乱者頭破七分

画像を見てください。画像は弘安2年戒壇本尊の字配です(柳澤宏道『石山本尊の研究』より)。
戒壇本尊には両肩の部分に「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」という文章が存在しません。ちなみにこの文章は中国天台宗第6世妙楽大師湛然の『法華文句記』中の言葉です。
しかしながら『御本尊七箇相承』では「上行・無辺行と浄行・安立行と毘沙門との間には、若悩乱者頭七分・有供養者福過十号と之を書くべし」とされています。
よってこの時点で戒壇本尊はもはや偽作であると断じてよいでしょう。



2、仏滅後二千二百二十余年

画像を見るとわかりますが、弘安2年の戒壇本尊では右下の年数が「仏滅後二千二百二十余年」となっています。
ちなみに『御本尊七箇相承』では

「師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」

とされています。
つまり「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべきところが、戒壇本尊では「仏滅後二千二百二十余年」となっています。
言ってることの一貫性がないのは大石寺の特徴ですけど(笑)、ここまで違うともはや失笑するしかありません。
ちなみに創価学会の各家庭にある例の日寛書写本尊は「仏滅後二千二百三十余年」で、阿部日顕師の昭和60年以降の書写本尊でも「仏滅後二千二百三十余年」となっています。




3、日蓮在御判
『御本尊七箇相承』では以下のように書いてあります。

日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」

確かに弘安2年戒壇本尊も日蓮と書いてちゃんと花押も入っているんですが、問題は日興門流で、ちゃんと書いてない人もいるんですよ。


最大の問題点は大石寺第三祖・日目の元弘3年10月13日書写本尊(柳目妙教寺)なのですが、「日蓮御判」と書くべきところに「日蓮聖人」と書いてあります。
第三祖日目が「日蓮」と書いていない時点で「御本尊七箇相承』と相違します。
日蓮正宗の方は一体どう考えるんですか。
こんな一貫性のない教義しか提示できない大石寺なんて信用できるわけないじゃないですか。
「代々の聖人悉く日蓮」なんて後世の偽作の教義でしかないんですよ。
つまり日目と日興の在世中には『御本尊七箇相承』は存在しなかったと考える方が自然でしょう。だいたい日目自身が『御本尊七箇相承』通りに御本尊を書写していない、そしてそれを日興自身が黙認しているというのは大きな問題のはずですから。


大石寺信徒の皆さんは、日蓮正宗の欺瞞性にそろそろ気づいた方がいいと思います。
これ以上人生の時間を無駄に使わないように、早く日蓮正宗から抜けて純粋な信仰に目覚めることを願っています。
なお法華講の方が、真剣にこのブログの記事を読むことは日蓮正宗の教義的には謗法になりますので(笑)、あまり読まない方がいいですよ〜☆
そんなに真剣に読んじゃいけません! そこの法華講のあなた、「謗法」ですよ☆





追記:
実は御本尊の相貌の問題点は、他にも論点はたくさんあります。
例えば「八大龍王」という言葉一つとってみても、戒壇本尊の相貌では「大龍王」となってて「八」の字は抜けています。ちなみに創価学会会員の自宅に安置されている日寛書写本尊では「八大龍王」となっています。
つまりそれだけ御本尊の書き方については、日蓮正宗では諸説入り乱れてしまっていて、一貫した教義を提示できていないというのが現状です。あまりに信徒のみなさんをバカにした行為だと思います。
もとより思想・信条、そして宗教に関しては何を信じるのも自由です。
そうだとするならば、少なくとも日蓮正宗は信徒のみなさんに対して一貫した教義を提示する義務があるはずです。
それにもかかわらず、
三宝は一貫していない、
僧宝が何なのか歴代の法主で言っていることが違う、
御本尊の奉安様式が昔からの信徒と今の信徒で違う、
客殿と御影堂とで御本尊の奉安様式が違う、
根本の弘安2年本尊の相貌と相伝書の『御本尊七箇相承』の記述が違う、
相伝書の真蹟さえ何一つ大石寺に伝わっていない、
…………これじゃ、信徒の方がかわいそうですよ。あまりに信徒を愚弄していませんかね。



































平和・文化・教育の団体。






どうも「創価学会仏」という発想、つまり教団そのものを仏視する考え方はどうもかなり前から創価学会教団サイドではとっていたようなんですよね。
そもそも池田会長時代にすでに会長指導の中で戸田氏の言葉として「創価学会仏」は出てきますし。



私が昔、聞いていたのは「平和・文化・教育」ということです。創価学会は近年になって自分たちを「平和・文化・教育」の団体としてきましたが、どうもこれは創価学会なりの解釈による「主師親の三徳」の言い換えみたいなんですね。



日蓮正宗創価学会は『開目抄』における「しうし父母」を「主師親の三徳」と解釈し、日蓮末法の御本仏と規定しています。
どうも創価学会を自分たちを仏扱いに格上げするために、その地ならしとして自分たちを「平和・文化・教育」の団体としたということなんですね。この三つは信濃町に言わせれば「主師親の三徳」の現代的な意義なのだそうです。
正直、このことは私自身裏を取れておらず、関係者からの伝聞情報の域を越えません。したがってここに投稿するのに少々躊躇したことは事実ですが、ほぼ間違いないと思っています。




仏の徳が「主師親の三徳」であるとしても構いませんし、それを創価学会が「平和・文化・教育」と解釈するのも思想信条の自由であって、悪いことではありません。
問題点があるとするなら「主師親の三徳」は果たして平和と文化と教育の三つに配されるものなのかということの検証でしょう。




そしてさらに重要な問題点は、果たして創価学会が平和や文化や教育の拡充・発展を目標にして自分たちを「平和・文化・教育」の団体としたのか、それとも自分たちを仏と祭り上げるために、その思想的前提として「平和・文化・教育」の団体というイメージを作り上げようとしたのか、そのどちらなのかという点にあります。


もしも万が一にも自分たちの権威づけのために「平和」とか「文化」とか「教育」という美名を利用した可能性があるとすれば、それは創価学会の歴史に汚点を残す行為になり得ると思います。









創価学会の選挙戦①公示前。






このブログ記事を投稿している2017年2月現在ですけど、創価学会はすでに都議選の戦いを始めています。早いよね、ホントに。
「勝利からの逆算」とは御大池田名誉会長のお好きな言葉だったのでしょうけど、こと選挙になると創価学会の活動家はそれこそ血眼になって頑張ります。私もそうでしたから、かつて。



ところで先日の対談以来、長井秀和さんといろいろ連絡をとって話しているうちに、公明党の投票依頼の実態をいろいろ書いたらどうかなぁという話になったんですね。

長井秀和さんいわく「やはり世間の気になるところは、選挙応援で、公明党の投票依頼に関しては不思議と言うか謎な部分ってあるでしょうね。創価学会は、立正安国の日蓮の主張を拡大解釈して、信者に政治活動を強いらせてますけど。  教義的に、それは理にかなったことなのか? 」等々。確かにもっともな疑問です。


私自身の見解を言えば、宗教団体の政治支援活動はなんら制限されるべきものでもありませんが、ただ創価学会の問題点は組織選挙戦があまりに緻密であり、また個々人の政党支援の自由は創価学会内にはほぼ存在しないということです。
そのへんはタブーになってますね。表向きは個々人の政党支援の自由を尊重するというポーズを見せつつ、内実は公明党の一党支援の一枚岩体制です。



このテーマについて、長井秀和さんとまた対談していきたいと考えていますが、今日は私が実際に選挙戦でやってきたことをあげてみます。



今回は公示前の戦い方についてです。
決起大会の後、選挙戦に突入しますが、公示のはるか前にすでに創価学会は選挙戦に突入しています(本当ですよ、もう今すでに都議選の支援の戦いをバリバリやってるはずです・笑)。



選挙の投票依頼は公示前にしてはいけないというのは当然のことです。
ですから支援者は「候補者◯◯◯◯さんへ一票お願いします」と言うことはできません。「公明党の◯◯◯◯さんへの"応援"をお願いします」と言わないといけません。このへんの言葉遣いを組織内できちんと徹底されます。つまりいけないことをわかってて許容範囲スレスレでやってるわけです(笑)。まあもっともこのへんは他党陣営も多かれ少なかれやっていることなんですけが、創価学会の場合はもっと組織的で緻密な感じがします。



各地区の組織内では「ZU台帳」を作ります。「ZU」とは「全有権者」の略記で、地区の統監をもとに実際に地区に何人の有権者がいるのか割り出していきます。その際に統監があってもこちらに住んでいないため実際には票にならない有権者なども調べていくんですね。



そうすると、その地区でだいたい内部票で何名分入るのかわかってきますから、それを受けて友人票は何名くらい取らないといけないのか(いわゆるF)などを各地区で算段していきます。台帳から目標に向かって組織で作戦を立てていくのです。
当たり前のことですが、各地区の目標よりもはるか前に本部の目標、その前には圏の目標、その前には県の目標……という風に具体的に数値目標が設定されているんです。
このように具体的な数値目標を掲げて、そこへ"勝利の逆算"で選挙戦をやっていく戦い方を創価学会で初めてやったのは、恐らくは若き日の大阪での池田参謀室長なのではないかと思います。


まあそんな伝統があり、ZU台帳から具体的な次への選挙戦の票読みを展開していくわけです。
この台帳作成の戦い、票読み、公示前支援の戦い等は、公明党の政策がどうだとかそんな検証とかは創価学会は一切やってません。創価学会の選挙戦の問題点の一つがそこにあり、初めから支援ありきなんですね。勝つことが最優先であり、「候補に決まったら犬でも通す」という(笑)、世間から見れば考えられないような盲信ぶりが宗教的美名のもとに罷り通る世界だと言うことです。


次回はこの台帳からK、マルK、F、マルF、Z確、Z済などについて書いていこうと思います。





本尊の奉安様式。





創価学会の方ってあまりこういうこと考えないんですけど、日蓮正宗の御本尊の奉安様式にはいろいろなものが存在するってご存知でしょうか。
これは日蓮正宗における「三宝」の考え方が一貫していないことの一つの現れとも言えるでしょう。
三宝」のうち、「僧宝」が何にあたるのか日蓮正宗において全く一貫していないというのは以前ブログでご紹介しました。




日蓮正宗における本尊の奉安様式には主に三つがあります。


①一幅式(一体三宝式)
曼荼羅本尊のみを奉安する形式。
※近代の大石寺寺院、創価学会会館、家庭等。

②一幅一体式(住持三宝式)
曼荼羅本尊の前に日蓮の「御影尊」を安置する形式。
大石寺御影堂、旧来の大石寺寺院、先祖代々の大石寺信徒。

③一幅二体式(別体三宝式)
曼荼羅本尊の左に日蓮、右に日興を安置した形式。
大石寺客殿、旧来の大石寺寺院。



創価学会員さんは①しか知らないと思うんですけど、実は②も結構一般的です。古くからの大石寺の信徒の方は②の方も多いです。御本尊の前にちょこんと日蓮御影を置くんですけどね。



ちなみに①と②は他の日蓮門下でも共通の奉安形式です。それに対して③は大石寺特有のものです。つまりこの③の別体三宝式は大石寺日蓮本仏説を如実に表現したものだからなんですね。



なんで大石寺はこの3種類の奉安形式を統一するってことをしないのでしょうね。
つまり教義に一貫性がないんです。
日蓮本仏説をとるのであれば、一幅二体式の③を採用し、各信徒の家庭においてもきちんと宗門の三宝の在り方を徹底した方がいいと思うんですけどね。
だいたい大石寺の敷地内だけでも御影堂と客殿とで奉安形式が異なっているわけでしょう?
「一体どっちなのさ?」ってツッコまれたら何て答えるんですかね。









弓谷氏のこと。







彗星の如く現れ、次代の会長候補と呼ばれながらハレンチな女性問題を起こして解任になった弓谷照彦元男子部長という方のことを、多くの創価学会員さんはご存知のことでしょう。



私、この方のこと、よーく存じ上げています。
別に彼の女性問題を擁護するわけではありませんが、若い頃の弓谷氏は大変に素晴らしい学者でした。
東京大学を蹴って創価大学に進学。その後、大学で学生自治会中央執行委員長を務めました。かつて喫茶「ロンドン」等で話したことを懐かしく思い出します。当時は学内に創価革新学生連合(略して創革連)が現れたり、池田名誉会長の国会証人喚問を実現しようとする動きがあった時代です。弓谷さんはその頃から飛び回るように活躍されていたようでした。
華やかでスター性があると同時に、頭の回転が早い天才肌の人でもありました。池田名誉会長から一目置かれたのもさもありなんと思いますね。
創価大学では中野毅先生のゼミに所属し、中野先生から大変に高く評価されていたと伺いました。専攻は確かピエール・ブルデュー理論社会学だったかと記憶しています。中野毅さんも本人に言っていたようですが、学会本部職員になるより学術の道で生きることを選ぶべき人だったように思えてなりません。



友人評していわく「英雄色を好む」で、当時から女性が好きだったことは事実のようです(確かに女性からはモテモテだったようです。当時の私とは天地雲泥の差・笑)。
しかしこの弓谷氏に白羽の矢を立てたのは他の誰でもない、池田名誉会長本人だったはずなんですけどね。




中野毅先生のゼミ生には、この同時期に弓谷照彦さんとは別にもう一人、完全に天才肌の型破りな学生がおりました。宗教社会学を研究していた方です。
弓谷さんと彼とはあまり会話が噛み合わなかったようですが(笑)、まあ両者を知る自分としてはわからなくもありません。



創価学会本部というところ、そして池田名誉会長という人は結局弓谷さんという人を評価して、私が尊敬していたもう一人の天才肌の方をほぼ黙殺しました。
結果どうなったかというと、弓谷さんは例の問題があって隠居の身となりました。そして件の方は現在研究熱心な学者となり、研究活動に勤しんでいます。名前はあえて伏せます。
弓谷さんではなく、彼の方を真に評価できるような創価学会だったら少しは現状が違ったかもしれないなぁと思うこともしばしばです。まあ無理でしょうね。



そもそも創価学会が学術的な批判に晒された時に矢面に立って守ってきたのは中野毅さん、宮田幸一さん、そして菅野博史さんたちだったはずです。
彼らが創価大学にいたからこそ、外からの評価も変わったんです。「ああ、なるほど。創価学会にもこういう学者もまだいるんだなあ」とされて、対外的な評価を変えてきたことは事実です。他にもそういう方々はたくさんいました。



創価学会の信仰を持っているか否かは別として、少なくとも創価大学には新明正道先生、阿閉吉男先生、佐々木交賢先生、鈴木二郎先生、池田温先生、加藤九祚先生といった、素晴らしい先生方がいました。すでに鬼籍に入っている先生が多く、そのことが私にはとても悲しいことなのですが。
その彼らの後継がもしもまだ育っていないとすれば、それは創価学会の未来への一つの黄色信号になり得ると私は思います。