いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は「加持祈祷」についてです。
私は自分の考えで、題目の五字七字に一念三千の観法があると捉え、観心の修行として題目を捉えようとしているのですが(これはあくまで私見です)、日蓮にはどこかそれとは別に加持祈祷の思想があるように思います。
「承久の乱について」
以前ブログで書いたように、この調伏が功を奏さず、なぜ上皇方が守られなかったのかということが日蓮の既成宗教への疑問になったわけなのですが、ここで日蓮は真言の法によって祈祷したため、朝廷方が敗北したと考えています。
加持祈祷は仏教伝来以降に行われるようになったものです。しかし天台智顗の『摩訶止観』等を読む限り、およそ加持祈祷の考え方は私には思えません。加持祈祷が広く行われるようになるのは密教伝来以降、平安時代からのことでしょう。
日蓮は恐らく法華経を根本とした加持祈祷を考えたでしょうし、もしも『立正安国論』が幕府に用いられていたならば、国家安寧の調伏祈祷をしたことと思います。極楽寺良観(忍性)と日蓮が祈雨の対決をしたことなど、まさに加持祈祷の考え方でしょうし。