気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

池田氏の生命至上主義。

いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私は池田大作氏の思想について、その内実は大石寺・日寛教学の大胆な敷衍と解釈にあり、戸田城聖の生命論と親孝行に見られる儒教的な発想だけで、特にオリジナルなものは存在しないと考えています。


「池田哲学とは何か」


「忘れ去られる池田思想」



ところで、創価大学教授・高橋強氏の『中国における「池田思想」研究の動向』によりますと、2013年3月2日、「池田大作平和思想研究国際フォーラム」が開催され、また同年11月23日、「21世紀の生態文明に向かって」のテーマのもと、広東省広州市において「池田大作思想シンポジウム」が開催されたことが知られています。この報告書によると午前中に高橋強氏を含む8名の基調講演の後、午後には22名による研究発表がなされています。


ところでこのシンポジウム招集人の一人、広東社会科学院の温憲元教授の発表は、このシンポジウム全体の問題意識が反映されているとして、高橋氏は概要を紹介しています。つまりこの温氏の池田理解こそが、このシンポジウム参加者に共通する池田思想への理解であるということです。
概要を一部紹介しましょう。


「池田の生態文明思想は、生命尊厳を中心とし、生命尊厳と生命倫理をもって道徳的感情に訴えかけ、父母に孝行し年配者を尊敬するように、天地や自然を尊重し、慈悲と思いやりをもって生命を大切にすることを望んでいる。従って池田の生態文明思想は生命尊厳を中心とする創価理論体系の重要な構成部分である。」


この後もいろいろ長く書いてあるのですが、要するに池田の生命尊厳の考え方から、人類中心主義を乗り越え、自然に対する寛容の精神を見出すことができるとのことです。


とすればですよ。
これらは1970年代の例えば『御義口伝講義』などに見られた、生命至上主義的な考え方であって、生命という観点から『御義口伝』を大胆に解釈する考え方が池田思想の特徴なのであって、その内実が後年にいろいろ形を変えながら、貫徹されているというのが、およその池田思想の理解なのではないかと考えられます。


ということは、中国の池田思想研究国際フォーラムの参加者が共通している池田思想理解は「生命倫理」という一点なのであって、そこに池田氏の思想的価値を見出しているということになります。それは例えば寛容の精神であったり、自然に対する多元的な社会の基礎であったりするということでしょう。



ただ私がこれを読んで感じるのは、「生命」ということを強調することこそ、池田氏の思想的な限界であるということです。
つまりそれ以上の内実が特にないんです。


例えば法華経薬草喩品の「雖一地所生、一雨所潤」を、多元的な生命や価値観の共存と解釈する『御義口伝講義』の価値観は、比喩としての薬草喩品の美しさを感じさせるものです。
ただそれ以上の価値観が特に私は感じません。
生命ということが絶対的な至上倫理とされても構わないのですが、そもそも「生命」至上主義など、別段池田氏のオリジナルの考えでも何でもないと思うんですね。



生命倫理という言葉がありますが、これらの思想の代表的な研究者といえば、例えば森岡正博氏や加藤尚武氏などでしょう。
1970年代にアメリカで用いられた bioethics の概念が日本に渡って来て、脳死問題や安楽死の問題、臓器提供の問題などで生命倫理学ということが語られたりしたことは広く知られていますし。




池田思想に積極的な価値を認める方たちは、基本的に池田氏の生命至上主義を理論づけるために、そのような講演や研究をされているようですが、そもそも「自殺と安楽死」のテーマについてでさえ池田氏とトインビー氏で見解が一致していません。
これはトインビー対談を読むとよくわかることなのですが、池田氏とトインビー氏は殆どの論点で考え方が一致しながら、実は最も重要な生命倫理の問題、「自殺と安楽死」についてのみ見解が一致していないんですね。



池田思想の内実を「生命至上主義」と考えるのは自由なのですが、トインビー氏の提案する「人間の持つ普遍的な自殺や安楽死の権利」という考え方と、それを決して認めない池田氏の齟齬こそが、創価学会が今後克服するべき思想的課題なのではないかと私などは思います。