気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

忘れ去られる池田思想。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて私は以前ブログに書いたのですが、池田名誉会長本人の持つ思想について、特にその内実が存在せず、基本的には日寛教学の敷衍かと考えています。


「池田哲学について」


ところで、これらに対する批判は大いにあって結構なのですが、最大の問題点は、池田門下を自称する人たちに池田思想の検討をする動きが全くみられないことです。


書籍代筆については例の元職員三人組が著作で暴露して広く知られることになりました。


池田氏の著作に代筆がされているとすれば、池田氏の思想はどこからどこまでなのか、そのへんの確定がなされればならないでしょう。


私としては池田氏の思想として「人間革命」思想を根本にするという発想が池田門下を自称する方たちの間にあってもよいかと思います。ただそれらが克服しなければならない問題は以下の点でしょう。


①そもそも「人間革命」という語は戸田城聖のオリジナルではなく、南原繁氏によって巷間に知られることになった概念であること。つまりこれは戸田のオリジナルでも池田のオリジナルでもない(この点については創価大学の伊藤貴雄氏が講義の中で指摘されています)。


②一人の人間の人間革命が世界を変革するという考え方の根幹として、一人一人が持つべき思想の本質は具体的に何であるのか。


③そもそも人間革命思想を根本に今まで創価学会が活動してきて、その結果、現在の信濃町、そして公明党の実態があるはずだが、その総括はどうするのか。信濃町公明党が形骸化したのだとすれば、根本とする思想の何が間違っていたのか。池田思想の持つ本質的な欠陥なのか、それとも門下たちの運用の問題なのか。 



これらの過去の総括と池田思想の再考をすべきなのは、自称「池田門下」を名乗る者たちであると思います。それがなければ、池田氏の死後に彼の思想など忘れ去られてしまうと思いますね。
要するに池田氏を批判する言説に対し、ヒステリックに反発し、罵詈雑言を繰り返して、池田批判を許さないような一部の狂信的な態度は、池田氏の思想を後世に残すことに少しも貢献しないのです。


池田大作はかつて日本中の人に知られていました。今では若い人など誰も池田氏のことなど知りませんよ。いずれ忘れ去られて消えていくと思います。評価されるべき内実がないのですから、忘れ去られるだけかと思います。