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創価学会の非活メンバーによる語り

日興は仏像本尊を認めている。





いつもありがとうございます。
さて今日の記事のポイントは、以前に「日蓮本仏論について」という記事ですでに指摘したことですが、実は日興の『原殿御返事』を見る限り、曼荼羅ではない仏像造立による本尊を認めているという点です。



日興の『原殿御返事』から引用してみましょう。なお『原殿御返事』は創価学会版の通常の御書にはなぜか収録されておらず、編年体のものにだけ収録されています。



「此れのみならず日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道殿御微力を以て形の如く造立し奉らんと思召し立ち候を、御用途も候はずに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代りに、其れ程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様は、責めて故聖人安置の仏にて候はばさも候なん。それも其の仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。」
(『編年体 日蓮大聖人御書』1732〜1733ページ)



簡単に概要を述べますと、

日朗が日蓮滅後に一体仏の像を安置したのを見て、波木井の原氏もまた釈迦像を造立しようとした。」

「日興はこれに対し、一体仏の造立は始成の釈迦仏ゆえに不可とし、四菩薩を伴った仏像の造立ができるまでは、日蓮御筆の紙幅の曼荼羅を以って仏像の代わりにしてもなんら問題はないとした。」



ということです。


つまりここでの日興の思想は仏像本尊を否定していないことがわかるかと思います。
むしろそれが始成の仏でなく四菩薩の脇士を伴う久成仏なのであれば、それは曼荼羅の代わりとできるということが、ここでの日興の趣旨であると思います。
『報恩抄』における「本門の教主釈尊」とはまさにこのことを述べているのであり、それゆえ日蓮系教団では紙幅の曼荼羅とともに仏像の造立形式も認めているという事実があります。
ですから『報恩抄』における「本門の教主釈尊」を「末法の御本仏・日蓮大聖人」とする立場はやや牽強付会に過ぎると私は考えています。