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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

仏教は生命論ではない。




いつも閲覧ありがとうございます。




「仏とは生命である」と主張したのは戸田会長以来の創価学会の考え方です。
別にそう考えるのは思想・信条の自由なんですけど、私はそうは思いません。
なんで「仏が生命」なんですか? 違うと思いますけどね。



以前にもブログで書きましたけど、仏を宇宙に偏在する生命とする考え方はウパニシャッド哲学におけるアートマンブラフマンとの合一という思想です。


「宇宙生命論って何ですか?」


周知のことですが(知らないのは創価学会日蓮正宗だけです・笑)、ウパニシャッド哲学は釈迦以前のインド思想であり、その後の仏教に影響を与えています。確かに真言密教にはウパニシャッド哲学の影響が看取されます。日蓮正宗お得意の「血脈」とか「師子相承」という概念も本来ウパニシャッド思想から密教を経て伝わって来たものです。




哲学思想としての「梵我一如」思想ですが、「梵」とはブラフマン brahman のことで宇宙の本体のことです。「我」とはアートマン atman と言って個人の本体として認識された概念です。ウパニシャッド哲学ではブラフマン側から教えを説いてもアートマン側から教えを説いても、結局は一元的世界観に究極されます。


ブラフマン(梵)とは本来中性名詞で、後に男性名詞としてのブラフマンが成立し、ヒンドゥー教の主神となりました。ブラフマンは後に仏教において「梵天」として擬人化されて説かれています。「大梵天王」とか「梵天様」としてご存知の方も多いでしょう。手塚治虫の『ブッダ』ではヒゲもじゃのおじさんとしてブラフマンが出てきますよね。
アートマン(我)とは本来「気息」を意味していまして(ドイツ語のAtem, atmen は同語源の語のようです)、生命の主体と見做されて「生気」を意味するようになります。その後、生活体の意味「身体」とか「胴体」の意味になり、また他人と区別された「自身」から、自己本質的な意味である「本体」とか「霊魂」とか「自我」を意味するようになっていきます。



ところでこの宇宙の本体ブラフマンと個人主体であるアートマンとの合一を説く一元的思想はすでに『リグ=ヴェーダ』中にも見られます。しかしながら理論的根拠が弱く、ウパニシャッドにおいてその同一視を理論づける一元的世界観が完成されました。



ですから自身の生命の中に宇宙に内在する仏の命があるとする考え方、また御本尊に祈ることでその生命と合一できるとするような考え方は、ウパニシャッドにおける梵我一如の考え方と変わりません。
したがってその考え方は、日寛の五重の相対で言えば内外相対の外、つまり"外道"の教えになります。



私は日寛教学の立場をとりませんから、ウパニシャッドを「外道」と貶めているとしか思えない「五重の相対」という教説は採用しませんけど、少なくとも戸田城聖の説く生命論というものはウパニシャッドの梵我一如の思想となんら変わるところはありません。それが仏法の究極だとするなら、その教義の再検証は喫緊の課題でしょう。




日蓮の言葉で大御本尊が「胸中の肉団に存在する」というものがありますが、果たしてこれは戸田会長の言う生命論ってことなんですかね? そういったことを無反省に教義として受け入れるのは如何なものかと思います。
日蓮はここで胸中の肉団に御本尊たる九識心王真如の都があるとしていますけど、それって日蓮の中で現代でも有効な教義なんですかね。
むしろここでは法華経を受け持つことで5種の修行を具足するという結論の方が重要かと思いますね。それにこの『日女御前御返事』には真蹟が存在しません。
もちろん日蓮自身の思想にも真言の影響がありますし、『日女御前御返事』中の言葉を生命論として考えるのも思想上の自由です。
けれどそれはウパニシャッドの思想と変わらないということであり、またそれをわかった上で教義として採用しているのか、それとも戸田城聖とか池田名誉会長とかが言っているから無反省に受け入れているのか、どっちなのかってことです。




私個人の見解を述べれば生命論なんてのはどうでもよいことです(笑)。
どーでもいいんです。そんなの。
たとえば今の創価学会員にとって牧口価値論なんてハッキリ言っちゃえばどうでもいいでしょ。どーでもよくないならちゃんと価値論を勉強しなきゃダメなんじゃないっすか。
私にとって戸田会長の生命論なんてどーでもいいです。底の浅い思想だと思います。
題目をあげると宇宙に偏在する生命と合一できるんですって? そんなわけのわからないギャグはやめてくださいよ〜。
日蓮正宗の方が私のブログを見て「この人は何を根本にするのか、胸中の肉団の本尊か」なんてことをTwitterで言われているようですが、そんなわけないじゃないですか(笑)。ブログよーく読んで考えてくださいませ。わかんないなら大石寺の作りものの本尊で満足してくださいませ。信仰は自由ですから。
日蓮正宗の方も創価学会の方も思考停止してしまっていて、あまり私の論について理解しようしてもできないかもしれませんから。