気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

悟りと「エンライトゥンメント」

 

 

いつも皆さん、ありがとうございます。

最近は多くのブログやSNS等で当ブログに言及していただき、感謝にたえません。また「ブログ復活うれしかったです」等の記事もあるようで、本当にありがたいです。改めて感謝申し上げます。

 

 

 

さて今回は、鈴木大拙の「悟り」の訳語についてです。

 

 

 

ご存じでない方のために一応書いておきますと、鈴木大拙(1870~1966)は、日本の仏教学者でして、日本のとりわけ禅や浄土思想について多くの著作を英語で書き、海外に日本の禅文化を広く知らしめた哲学者です。1952年~1957年までコロンビア大学客員教授として禅思想の講義を行い、アメリカでの東洋思想、禅思想を広める立役者となりました。彼の交友関係は多岐に渡り、心理学者のカール・グスタフユング、哲学者のマルティン・ハイデガー、作曲家のジョン・ケージなど、鈴木大拙から多くの影響を受けていたことは多く指摘されています。

 

 

 

ところで、彼は仏教思想における「悟り」について、訳語として「Enlightenment」という語を用いています。

エンライトゥンメントとは文字通り「光に照らされて明らかになる」ということですが、この語に影響を受けていると考えられるのは後期のハイデガーの思想です。彼は後年の論文「哲学の終末と思索の課題」(1964)において「リヒトゥング」(lichtung)という語を使い、光に当てられた混沌が現存在への明るみに出てくると言う存在論を展開しています。本来この語には「間伐地」という意味があり、樹を切られて太陽の光に当てられるようになった土地が存在の明るみに出てくるという意味合いで用いられているようです。

 

 

 

ところで、創価学会発行の日蓮の英訳御書全集(The Writings of Nichiren Daishonin, Soka Gakkai 1999)においても、この鈴木大拙由来(と私は考えているのですが)のEnlightenmentを用いています。この御書の訳者は「御書翻訳委員会」(The Gosho Translation Committee)となっていますが、この委員会の序文でコロンビア大学のバートン・ワトソン教授に訳語の選定について感謝の言葉を述べています。彼は鳩摩羅什法華経および御義口伝の英訳に携わっていますし、創価学会が彼の訳語を踏襲することは自然なことかと思います。

 

 

 

私が疑問視しているのは、鈴木大拙が本来「エンライトゥンメント」という語で表現しようとした内実を、創価学会側がきちんと教義的に検討した上で用いているのかということです。ちなみに創価学会は「成仏」の訳語としてこの「エンライトゥンメント」を用いています。

即身成仏ということを表現するのに、創価学会側が英語の訳語として”enlightenment”をあてるのは勝手ですが、そもそも「即身成仏」という教義は日蓮本来の教義ではなく、真言密教で使われる教義です。法華経という経典では即身成仏は実は全く説かれておらず、二乗成仏は単に来世において成仏の記別が約束されるだけです。龍女の成仏は漢訳で「変成男子」と説かれ、サンスクリット原典では龍女に男性器が生えてきて成仏する表現がとられています。即身成仏は本来法華経の教義ではないのです。

 

 

 

「来世における成仏の記別」

https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/03/21/000000

 

 

 

「光に照らされて仏になる」ということを安易に「成仏」ととらえ、その訳語として鈴木大拙由来の“Enlghtenment”をあてるとするなら、本来の鈴木大拙氏の悟りに対する見解と創価学会の考える成仏とか悟りとかが同じものなのか、違うとするならどこが違うのか、またその語を採用するならどのようにその訳語をあてた意義を捉えるのか、教義的な検討が必要になるはずです。

 

 

 

鈴木大拙の著作によれば浄土三部経で説かれる阿弥陀世界は、陰影のない光の世界と考えられています。これは無分別の世界であり、本来の世界の前提としての混沌を光というかたちで表現したものであり、光があまりに強く陰影に乏しければ、世界は世界として私たちの前に現前してこないでしょう。

現在、私は龍樹由来の念仏の徒として、南無阿弥陀仏を唱える信仰者として生きているのですが、私が南無阿弥陀仏を唱える時に意識するのはまさにこのことでして、あらゆる法の常住を否定し、一切の常住への執着から離れるということを信仰の目的にしているがためです。

 

 

 

翻ってみるに、大石寺系教団として日蓮正宗と同様、創価学会もまた自らの教義に全く無反省・無自覚な姿勢をさらけ出しておりまして、教学的に破綻していると私は考えています。

 

 

 

参考文献

鈴木大拙『浄土系思想論』岩波文庫、2016年

後藤嘉也「他なるものの声 -ハイデガーにおける循環と展開-」東北大学、2005年

The Writings of Nichiren Daishonin, The Gosho Translation Committee, Soka Gakkai 1999