気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

無作三身と三種の神器。





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さて大石寺26世日寛の『観心本尊抄文段』には、以下のような部分があります。


「謂く須臾も本尊を受持すれば我等の当体全く是れ究竟果満の無作三身也、譬えば太子三種の神器を受持すれば先帝の跡を紹継し先帝統御の国々を受得し即帝王と顕るが如し、然れば即本尊も無作三身我れ等も亦無作三身親も仏子も仏親も帝王子も帝王豈親子一体に非ず耶」
(日寛『観心本尊抄文段』富士宗学要集4-250ページ)


ここで日寛は「本尊を須臾も受持すれば無作三身の当体を得る」ことを述べています。
気になったのは、それを説明する喩えとして日寛がなんと「三種の神器」を引き合いに出しているところです。


つまり太子が三種の神器を受持することで、先帝の後を承継して国を統御する帝王となる原理と、本尊を受持することで信仰者の当体が無作三身となることが同列に論じられているということになります。


そもそも三種の神器と無作三身にはなんら関連性はないわけで、あるとすれば「三」という数字くらいしかありません。
喩えとはいえ、大石寺の教義を説明するために、天皇家三種の神器の意義を比喩として同列に論じるというのは、私としては意外な印象を受けました。