気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

池田会長「10億円を出せ」 発言。

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いつもみなさん、ありがとうございます。




さて今回は昭和48年10月14日に、池田大作氏(当時会長)が大石寺法主である細井日達氏に対して「10億円を出しなさい」という趣旨の発言があったと言われます。これについていろいろ検証してみたいと思います。



これは正本堂から出てきた日達氏に対して東側の広場で公衆の面前で「約束の10億円をはやく出せ」と大きな声で言ったと言われています。
そしてこの後すぐ雪山坊の2階の会議室での連絡会議に池田会長は出席しています。



猊下 『だいたい会長さんは十月に公衆の面前で私を罵倒したでしょう。あなたはそばにいたからしっているでしょう。私はがまんした。あなたは会長さんの弟子だから、私がやられるのを見て気持ちがよかったかもしれないが、いきなり十億といわれた。』」
(昭和49年5月10日、北条報告書)




「昭和49年頃(注:48年の誤り)、御開扉の終わった後で、池田前会長と福島源次郎氏(当時副会長)が、猊下がお通りになった時、『今頃来やがった』とまず福島が言い、池田前会長は『○○億円だせ』と怒鳴ったという事件があった。猊下の気性から思えば、その時はずいぶんと押えられたと思うが、その後、内事部へ来られて、『ああいう体質では、もう学会とは一緒にやっていけない。たとえ小さくなっても日蓮正宗の信仰を守っていきたい』と悲痛な表情で仰せられたのである。」
(小川只道『暁鐘』第20号)




「昭和48年10月14日、正本堂建立一年後、正本堂東側広場で、池田先生は日達上人を怒鳴りつけられました。
『これだけご奉公したんです。御褒美を下さい!私が欲しいのは猊下の慈悲です。猊下はすぐお忘れになってしまう。学会を奴隷にしないで下さい。このままいったら宗門はめちゃくちゃです。』
私はその場におりませんでしたので正確な内容ではありません。また、活字になるとそのすごみはなくなります。
これを裏付けるものとして、同じ日に総本山雪山坊二階会議室にて御宗門と学会との連絡会議が行われた、その記録がありますので掲載させていただきます。
富士宮市長との戦いだ。よっぽど連係をとらないとやられる。ヒゲ(市長・社会党)は、前の山川なんかよりずっと政治家だよ、あれは。私自体は、湊川の決心です。』
『学園(創価女子学園)の寄付については、猊下に、正々堂々とお願いします。交野の寺院へ(猊下が)見にいって、寄宿舎がないことにはしかたがない。二億円を寄附しましょうと、猊下が言われたんです。』
『それを正本堂の基金を使ってとはなんですか。(表彰状を)たたき返すか!といってもいたんです。』
『これだけ宗門のために尽くしているのが…(先生ご自身のことをいわれたと思います)
一人の人間が大事です。』
『宗門は、こ息なゴマカシをやめて、宗教人らしくふるまったらどうですか。』
『僧侶も千人以上になった。寺院も増えた。財政も増えた。学会は総力をあげたんですよ。宗門のために……。』
『本山から、大学へ10億円、寄附して下さい。いいですか!これだけやって、正本堂を建立して、感謝状一枚で、ごまかして。内容を吟味すべきです。学会人は純真だから、とんでもない。こんなものいるか、とつき返そうかと思った。』
『ほんとだったら(猊下の方から)こうこうこういうふうにさせてもらいます、というのが礼儀です。あまりにも、世間を知らなすぎます。うけてもらえますか!』
『生命をかけている人間に冷たすぎます。後世の為に危険です。今のやり方は、信者がかわいそうです。』
『坊主に対する教育は頼みますよ。教育がよくない。本山のことを総監さんが知らないことはよくない。十年前の宗門とは違うんだ。全部、総監さんが知らなくてはいけない。』
『帝国ホテルなどに招待はいらない。五百万円と七百万円をもらった方がよい。』
富士宮市への寄附は、七億円です。頼みますよ。学林は、本山で建てるように。』
『大聖人様は、ムシロ三枚でも、立派なご真筆をくださっているじゃないですか。こっちは、毎日、袋だたきだ!』
猊下(日達上人)に偉い偉いといってるばかりが外護ではない。猊下を守り、猊下に言える人が、いちばんの外護なのです」
『偉大な外護がいて、なんでもいってくれる人がいた方がいいんだ』
『衣のかさをかぶって信徒にいばるのは許されない』
これが機縁となって、例の早瀬総監と北条理事長との間で、本山から学会へ13億円の寄附、学林は本山で建てる、などの取り決めとなったものです。」
原島嵩『池田先生への手紙』)



「一、創価学会の多年に亙る広布創業の労に対し、宗門は満腔からの誠意を表し一金壱拾億円を贈る。
二、正本堂基金370,600,000円(現残高)については昭和49年4月以降、創価学会において自由に使用して頂きたい。
三、富士宮市の市民センター建設に対する寄付要望については、大石寺として七億円を考える。本件については創価学会と緊密に連携を保ちつつ対処する。
四、富士学林の建設は大石寺で行う。
以上。
昭和48年10月17日
日蓮正宗総監  早瀬日慈
創価学会副会長  北条浩」
(昭和48年10月17日、早瀬日慈氏と北条浩氏との間に交わされた覚書全文)



上記の「覚書」の通りにされたと仮定すると、大石寺から創価学会におよそ13億円程度のお金が流れたということになります。
原島氏の著作から考えるに、池田会長は大石寺創価学会に対する姿勢を正し、批判するためにそのような厳しい発言をしたというのはまだ理解できますが、そのための方法論が「10億円を払いなさい」というのは私は論理としてあまりよくわかりません。
例えば大学に寄付が必要だというなら、その旨を創価大学の関係者や創価学会員に周知して財務を募ればよいのであって、それを大石寺宗門からこちらに払えというのは、筋として少し違うのではないかという印象を受けます。


みなさんはどうお感じになるでしょうか。