読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

宗創問題について②平成2年7月以前のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて平成2年〜3年にかけての第2次宗創問題についていろいろ書いていますが、私の前回の投稿のポイントは「平成2年7月17日の連絡会議」であることを指摘しました。
この時の大石寺の見解と創価学会の見解が食い違っているので、この連絡会議こそが大石寺創価学会を分けた分水嶺だったと私は考えています。
この日の両者の説明を対照すると以下のようになります。

大石寺側の説明】
創価学会は一方的に批判をまくしたて、大石寺への返答を許さず、一方的に席を立って退席した。
創価学会側の説明】
創価学会大石寺僧侶に対して綱紀粛正を申し入れた。

両者の話を総合すると「創価学会側は大石寺へのなんらかの批判を会議の席上行なった」のであり、そして「大石寺側の出席者はこれに対し、反論をしなかった、あるいは反論できる雰囲気になかった」ことが推察できます。


私の推察ではこの日に創価学会大石寺に反論を許さないような状況下(どのような状況だったのかはわかりませんが)で、大石寺に対し、あるいは大石寺の僧侶に対してなんらかの批判を行なったと考えるのが自然であると思います。


ところで、この創価学会による僧侶批判はその少し前から創価学会首脳部になんらかの形で存在していたように私は考えています。
根拠を具体的に言うと、以下の池田名誉会長自身の発言です。



◯平成2年6月20日
創価学会本部幹部会にて池田名誉会長。
金ばかり取って、小欲知足どころか、大欲傲慢じゃないか。在家を励ますどころか、責める、いじめる、嫌な思いをさせるような人に、我々はなめられてはいけない。秋谷はびくびくして、顔色ばかりうかがって、だから宗門からなめられるのだ。お寺のことで何かあったら、私といっしよに立ち上がりましよう」


◯平成2年7月9日
苫小牧記念動行会(苫小牧平和会館)にて池田名誉会長。
「かつて衣の権威をカサに着て、一部の悪侶が、まじめに信心し、弘教に励んでいる、尊い仏の使いを軽んじ、いじめ、見下げてきた。その心は仏法の心ではない。僧としてよりも、人間として許されることではない。だれびとが、どんなに『自分は偉い」と威張ってみても、現実に一人の人に弘教し、面倒をみ、幸福にしていった『実証』にはかなわない。『高位の人』よりも『弘教の人』が偉いのである。仏法の眼からみれば、実社会のなかに、我が地域のなかに、『正法流布」を進めている皆さま方ほど尊い存在はない。」


◯平成2年7月14日
札幌記念幹部会 第1回北海道最高会議(北海道池田講堂)池田名誉会長。
「僧侶は『少欲知足』が本分である。高潔な『聖僧』が大聖人、日興上人の教えられた道である。踏むべき道を忘れた末法の僧侶のことを大聖人は、食べ物を奪い合う大にたとえて厳しく裁いておられる。"畜生道"であり、また″餓鬼道"の姿である。そして弘法もせず、我が身を養う欲望ばかり盛んな僧侶を、『法師の皮を著たる畜生なり』表に法師の皮をつけただけの畜生である、『法師と云う名字をぬすめる盗人なり』僧侶という名前を盗んでいる泥棒であると、激しく非難し、指弾しておられる。これは本来、他宗の僧への破折であられた。それが近年、かの悪侶たちのごとく、日蓮正宗からも、そうした卑しき輩が出たことは、大聖人のお悲しみ、お怒りは、いかばかりかと嘆かずにおられない。」


以上の池田名誉会長の発言から判断するに、創価学会は平成2年6月の時点で「宗内の一部の僧侶」が「少欲知足の本分を忘れている」実態があったと認識していたということになります。

つまり事の発端は平成2年頃に創価学会側が大石寺の一部僧侶の行動について、少欲知足のあるべき姿ではないことに懸念を示しており、それを責める形で批判したのが平成2年7月17日の連絡会議だったと考えることができます。

私はここでそのような僧侶の実態があったのかどうかを問題にしているわけではありません。真偽はわかりませんが、ここのポイントは創価学会側が少なくともそのような実態が宗内の僧侶の中にあったと考えていたということであり、それをどのような形で創価学会が宗門に伝えようとしたのかが今後解明されるべき論点かと思います。




追記:
またここで気になるのは、池田名誉会長がここで指摘している僧侶が具体的に誰のことを指しているのかという点です。この時に批判されるべきと学会側が考えていたのが阿部日顕氏本人だったのかという疑問が率直にわきます。
というのは平成2年7月17日の連絡会議でもしも法主のことを直接批判したとするなら、宗門側の出席者がそこで黙っているとは考えにくいですし、その後に大石寺側が宗内僧侶に綱紀粛正を申し入れたことから考えてもやや不自然です。
とするなら、以下の推論が浮上します。


創価学会側が平成2年7月以前に批判されるべきと考えていたのは阿部日顕氏本人ではなく他の僧侶であり、その僧侶の生活等について連絡会議で批判した。

②あるいは創価学会側が批判されるべきと考えていた僧侶が平成2年7月以前にすでに阿部日顕氏本人だったと仮定するなら、創価学会側は7月17日の連絡会議ではあえて法主本人を批判せず他の僧侶を批判するという判断をした。


上記どちらかの推論が立てられると考えます。