いつもみなさん、ありがとうございます。
なぜかというと本当のところがよくわからないからなんですね。
創価学会側の説明は、平成2年7月17日連絡会議の席上で「宗門僧侶の綱紀粛正を申し入れた」とするものです。
おそらくこの平成2年7月17日の連絡会議で何が起こったのかということが、宗創問題の一切の出発点なのだと私は考えています。
以下、平成2年の年末にかけて宗門と創価学会とのやりとりを年表にしてみましょう。
平成2年7月17日
平成2年8月20日
連絡会議(常泉寺)の席上、宗門側は綱紀自粛に取り組むことを学会側に伝える。
平成2年8月29日〜30日
全国教師講習会(大石寺)および指導会において「綱紀自粛に関する基準」を発表。
平成2年9月2日
大石寺開創七百年慶祝文化祭。
平成2年10月6日
平成2年11月16日
創価学会第35回本部幹部会。
平成2年11月20日
池田名誉会長、秋谷会長、阿部日顕氏に目通り。
平成2年12月13日
宗門側が本部幹部会スピーチに対する「お尋ね」文書を秋谷会長に渡そうとするが拒否される。
平成2年12月16日
宗門側は「第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」(通称「お尋ね」文書)を創価学会に送付。宗門は7日以内の回答を求める。
平成2年12月23日
平成2年12月26日
宗門は創価学会に対し「誠意ある回答なし」とする「通知書」を送付。
平成2年12月27日
平成2年12月29日
宗門は「お伺い」への「宗務院の返書」を学会に送付。
平成2年12月30日
学会は宗門に対し「抗議書」を送付。
おそらく事実としては平成2年7月17日の連絡会議の席上で何かがあったと思うんですね。どうもその席上で学会側の首脳部がなんらかの宗門批判を行い、席を立ったのは事実のようです。その口調とか言い回しとかがどういうニュアンスだったのかがとても気になりますね。
今回の稿の終わりとして、平成2年12月29日の大石寺側の返書にある藤本日潤氏の言葉を引用しましょう。ここから見るとなんとなく"平成2年7月17日連絡会議"の様子が垣間見られるように思います。
「7月17日の連絡会議の席上での学会首脳の各氏の発言が、『憍慢謗法であるなら、ただ黙って聞いておられた僧侶方に、何ら間題はないのでしょうか』とのお伺いですが、当日の会議は、学会側が『今日は話を聞いて頂く』というものすごい剣幕で、一方的に宗門に対する種々の問題をまくし立てたのであります。不審な点を聞こうにも、当方の言葉を差し挾ませないばかりか、一人の話が終わらぬうちに、次の者が宗門や僧侶を批判するという有様で、言いたい放題言い終わるや否や、当方の返答など一切聞かず、『今日はこれで』と座を立ったのであります。このように、当方の発言を封ずる状態にしたのは、学会側ではありませんか。常識的に考えて、あのような状況下では、まともな返事ができるわけがありません。したがって、この批難は、質問としてまったく当を得ておりません。反対に、連絡会議という宗務院と学会における、実務上の最も重要な場において、あのような状況を作り出した学会首脳の、憍慢の姿を指摘するものであります。」
どこまでが宗門側の脚色なのか定かではないので確かなことは言えませんが、次の点は推察できます。
①平成2年7月17日の連絡会議の席上、創価学会側は宗門僧侶へのなんらかの批判や綱紀自粛のようなことを申し立てた。
②その際、学会側は強い口調で宗門批判をし、自ら席をたって退席している。
③大石寺側はこれに対し、少なくとも反論らしいものをこの場ではしていない。
追記:
宗創問題の発端は平成2年7月17日の連絡会議ではなく、平成元年の登山供養費の値上げなのではないかという意見もありますが、私はこれにはやや懐疑的な見方をしています。
大石寺が消費税導入を契機として登山費の値上げを要求したのは確かに事実で、平成元年2月25日のことです。
具体的に大石寺は御開扉供養を1,600円から2,300円へ値上げ、食事代を1,100円から1,500円へ値上げすることを要求しました。