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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

池田名誉会長の原子力についての考え方。






2012年、池田大作名誉会長はSGI提言の中で次のように書いています。


「私は30年ほど前から、原発で深刻な事故が起こればどれだけ甚大な被害を及ぼすか計り知れないだけでなく、仮に事故が生じなくても放射性廃棄物の最終処分という一点において、何百年や何千年以上にもわたる負の遺産を積み残していくことの問題性について警鐘を鳴らしてきました。」
池田大作、2012年SGI提言より)


ところが、アーノルド・トインビー氏との対談において池田会長は積極的な原子力推進派でした。
トインビー対談から池田会長の発言部分を引用しましょう。



「今後のエネルギー資源問題を考えるとき、原子力の平和利用が一つの重要な解決策になるものとみられています。(中略)
原子力といっても、むろん鉱物資源の一種である以上有限であり、将来いつかは枯渇する時がくるでしょう。しかし、世界的にはこれからといってよい分野であり、その単位当たりのエネルギー量からいっても、石油、石炭に代わる動力源として、大いに期待できると思います。
しかしよく知られているように、原子力は非常に危険な、諸刃の剣ともいうべきものです。一方では、人類の福祉増進に限りなく貢献できると同時に、他方では、その用途を誤れば、人類を地球上から抹殺してしまう危険性をもはらんでいます。(中略)したがって、原子力の平和利用それ自体には異存はないにしても、その困難、障害を除去するために、今後非常な研究と努力とが必要とされるでしょう。」
(A・トインビー/池田大作『二十一世紀への対話』(3)聖教文庫版、80〜81ページ、1980年)



確かにここで池田会長は原子力の「諸刃の剣」ともいうべき危険性については言及しています。しかしながら文の前後からも判断できるように池田氏は積極的な原子力利用論者であり、ここでいう危険性ということについても、むしろ原子力の軍事への転用の危険性についてここでは語られており、原子力そのものへの否定というニュアンスは感じられません。基本的に「原子力の平和利用それ自体には異存はない」のですからね。


トインビー氏と池田氏の序文からもわかるようにこの対談が完成したのは1974年(昭和49年)です。
2012年の提言によれば池田氏は「30年ほど前から」「警鐘を鳴らしてきた」そうですが、2012年の30年前というと1982年です。ということは池田氏はトインビー対談以降80年代に入ってから、このトインビー対談の考えを覆す思想的展開、または原子力政策についての考えの変化があったということなのでしょうか。
そんなものないと思いますよ(笑)。だってほとんどの論点について池田氏は「トインビーと共通の見解に達していた」と言っていたではありませんか。私が通読した限り、トインビー対談で両者が意見の一致をみていない項目は「自殺と安楽死の問題」の一点のみで、あとはほとんどの論点で両者はほぼ共通の見解に達しています。



創価学会は過去の総括ができない組織だと私は考えていますけど、ここまで来ると本当に大衆迎合というかポピュリズムとさえ言ってよいと思います。
池田名誉会長はかつて原子力推進派だったではありませんか。その発言の責任はないんですかね。それをすり替えて「私は30年以上前から警鐘を鳴らしていた」なんて嘘だと思いますよ。


まあトインビー対談を実質的に書いたのは第一庶務と書籍代筆チームだったかと思いますから、むしろ信濃町の責任や体質の問題が問われそうですね。



追記:
やや手厳しく書きましたけど、本当はこのトインビー対談はなかなか読んでいて面白いです。現代でも通用する問題が多く、これをもし信濃町の書籍代筆チームが作成したとすると、当時の原島嵩氏らの熱心さというか、思想的努力さえ感じられます。
間違いは別にあったっていいんだと思うんです。大切なことは「あの時はそう言ってしまったけど、今考えると間違っていました」って素直に過去を認めて総括・反省できればいいと思うんですよね。そういう真摯さって池田名誉会長や創価学会本部の方にはないんですかね。