気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

反証可能性について。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は以前の記事(2017.8.22)「私のブログへの批判に対して」(http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/08/22/000000)をアップした際に、一読者の方より非常に示唆深いご意見のメールを頂きましたので、ご紹介させて頂きます。





「気楽さん

 

おはようございます。

いつも楽しく拝見させていただいております。

 

今回のメールは自身の思想をまとめたものかと思いながら読みました

ところで、こういう内容のブログを公開するとき、ほぼ

『批判もたくさん来ております』

ということを公表されております。

批判する方には彼らの言い分もあるのかも知れませんが、

私は批判する方々のほうがかえって、ブログを真剣に読んでいるように思います。

その意味ではご苦労な話だなと思います。

 

反証可能性』という概念をご存知でしょうか。

これは20世紀の科学哲学者・ポパーが提唱した概念です。

『検証されようとしている仮説が実験や観察によって反証される可能性があること』

を意味し、

『どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない』

ということです。

 

学会員は自身の教学体系が批判されることについて、アレルギー体質ですが、

実は完璧な理論体系というのはかえって非科学的だとポパーは主張します。

逆に、気楽さんのブログを批判的に考察しているという行為は、かえって、ブログの

科学性を検証し、高めているともいえるのです。

なぜなら、科学的真理とは

『より多くの反証、批判に耐えたものほど信ぴょう性が高い』

となるからです。

 

科学哲学では、反則技として、アドホックな仮説というものがあります。

後付けの理屈、とかご都合主義の理屈のことです。

有名な事例として、『フロギストン仮説』というものがありました。

 

昔、燃焼というものは、物質が分離することだと考えられていました。

なぜなら、見た眼で煙が出ているので、煙には、たとえば、木を燃やすなら、

木の分子が空中に放出されていると考えられていました。

だから、燃焼後は燃焼前より質量が減るものだと科学者は思いこんでいました。

ところが、ラボアジェが厳密な燃焼実験に成功し、質量が増えていることを証明すると、議論が紛糾しました。

彼らは燃焼が酸化による発熱と考えられませんでした。

そこで考え出されたのが

『木にくっついているマイナス質量をもつ物質が空気中に放出されているのだ。

マイナス質量を持つ物質とはフロギストンのことだ』

と主張したのだそうです。

一見すると、なるほど、と思いそうなのですが、反証主義の立場からいえば、

『で、フロギストンは検出可能ですか・』

となります。

当然ですが、マイナス質量をもつ物質など、目に見えるわけがありません。

結局、時の流れと共にフロギストン仮説は支持されなくなった。

 

どうでしょうか。

私はこの話を読んだときに、

『信心して不幸になるのはなぜだ。

願いがかなわないのはなぜだ。』

と批判した時に

『信心が足りない。

福運が足りない。

師弟の祈りと活動がたりない。』

アドホックな仮説を付け加える学会員を思い出しました。

信心は目に見えないし、福運は計測できない。

師弟の祈りは明確な定義がされておらず、活動は何をどの程度やったら願いが叶うと明確に示されていない。

そうした反証は、一般常識の範囲だと思いますが、それすらできずに殻に閉じこもるしかできないのが彼らなのでしょうね。」




非常に示唆深いメールで、納得させられました。ありがとうございます。

「自身の教学体系が批判されることに対するアレルギー体質」というのは創価学会員、大石寺信徒、法華講妙観講顕正会の方々に多くみられる特徴であると思います(私自身もかつてそうでしたし、未だにそういう部分があることを自覚して気をつけるようにしています)。



私自身のブログが「批判・検証」に耐え得るものなのかどうかはわかりませんが、私はただ自分の頭で考えて検証したいだけなんですね。

以前にも書いたように私の願いは一人一人の信仰者が屹立した信仰者となり、自分の頭で考えていけるようになることです。

私は教義を作ろうと考えているのではありません。ただ一人の仏教者の自覚から今まで学んできたこと、やってきたことを総括して検証しているだけなのです。私より説得性が高い論を展開されている方は研究者の中にも、また友人の中にもたくさんいらっしゃいます。私はそこから真摯に学び、研鑽していきたいと考えています。



重ねてお礼申し上げます。お読み頂き、本当にありがとうございます。






 

 

 

 


 

 

南元センターのこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は南元センターについて書いてみようと思います。


信濃町に南元センターという建物が存在することはよく知られています。週刊誌で一時「池田名誉会長が厳戒態勢で入院している」と騒がれたことからもよく知られています。
正直にいうと一般の創価学会の会員さんはこの建物のことをほとんど知りません。つまり建物の目的が会員にはほとんど知らされていないのです。


この「南元センター」、実は病院です。
複数の建物と併設して建てられており、「創聖健康保険組合診療所」となっています。事実、「創聖健康保険組合診療所」で検索すると「南元センター」が出てきます。つまりここは病院であるということです。


場所なのですが、信濃町の駅を学会本部側に出てすぐ右に曲がり、本部第2別館のある通りをまっすぐ進みます。第2別館を右側に見る感じです。やがて右側にひっそりと窓口がある建物が見えてきます。看板等は一切こちら側に出ていません。
南元センターを通り過ぎたら、センターの側面沿いにすぐに右に曲がってください。急斜面を降りる感じになっていまして、センターの裏側に回ることができます。中央総武線の線路に面した通りです。
表と裏側とで高さの違う不思議な建物になっていまして、裏側に回ると「南元センター」の文字を見ることができます。ひっそりとしていますが、建物自体はとても立派な作りだと私は思います。


別に信濃町の学会本部が病院を持っていても構わないと私は思いますし、私は週刊誌が書いたようにここに池田名誉会長が本当に入院していたのかどうかは知りません。それは別に気にしていません。
私がここで問題として提起したいのは、なぜこの「南元センター」が一般の会員にその用途や建設目的が知らされていないのかという点にあります。というのは会館建設や施設建設は少なからず会員からの財務、広布基金によるはずです。会員のことを思えば、その目的についてきちんと公開し、知らせるべきでしょう。ところがこの「南元センター」について知っている人はほとんどいません。信濃町のあちこちに貼ってある学会本部関連施設のマップでもここ「南元センター」はどういうわけか記されていません。


なぜここが公にされていないのか、一般の会員に知らされていないのか、週刊誌で書かれたこともありますし、会員さんから事実に則さない風聞が出てしまうことを回避するためにも、きちんと「南元センター」の目的や意図を会員に示すことが大切かと思います。


病院であるということは、ここを使って診療を受けている人がいるということです。では信濃町のどういう人が診療を受けているのか、そういったことを秘匿していれば、会員の間で事実に基づかない推論が膨らんでしまうでしょうね。それに戸田会長は「創価学会は病院を作らない」と指導で公言していたはずです。




池田名誉会長の兄弟。





いつもありがとうございます。
さて創価学会では永遠の指針として「一家和楽の信心」と言いますが、果たして池田名誉会長は「一家和楽」であるか、今日は名誉会長の家族関係を少し見てみたいと思います。




『週間読売』1976年10月30日号によれば、池田大作氏の兄弟は以下のようになるそうです。
全部で10人兄弟です。


池田喜一(長男、ビルマで戦死)
池田増雄(二男、学会員)
小宮開造(三男)
池田清信(四男、学会員)
池田とよ子(長女)
池田大作(五男)
池田栄一(六男)
池田隆市(七男)
池田正利(八男)
山越いね子(次女)


池田大作氏は兄弟の五男になります。実家は大森海岸の海苔屋さんでした。実家の場所はJR大森駅京急大森海岸駅との間でして、現在はイトーヨーカドーになっています。昭和初期の当時、この周囲は漁師町でして、多くの漁師さんが働いていたそうです。
イトーヨーカドーから少し行ったところに密嚴院というお寺がありますが、ここに池田家のお墓が存在します。



「密嚴院の喜田啓照住職によると、『増雄さんが死に、まったくおつきあいがなくなっていたのですが、このところ、増雄さんの息子の一雄さん盆暮れにはお菓子などをもって挨拶にきてくださるようになりました』

一雄は学会員である。が、子之吉の墓を一般世間並みに維持していたのだった。」
(週刊『宝石』1996年4月号、光文社)


これを読むと、池田家の墓を当時は池田名誉会長の甥にあたる一雄さんが維持していたことがわかります。
この墓は真言宗・密嚴院(東京都大田区大森北)に存在します。


池田大作氏は密嚴院の墓を創価学会の墓地に移そうとしたことがあるようです。そのためかどうかはわかりませんが、兄弟同士の関係は疎遠なもののようです。
結果として大作氏は密嚴院からの墓の移転を断念し、増雄氏経由で分骨を行い、高尾墓園に新しい墓を建立することで決着したようです。


母・一(いち)の葬儀の際、大作氏は家の宗派である真言宗を呼ばずに大石寺細井日達を呼んで読経させています。
父・子之吉(ねのきち)氏は「強情さま」として知られ、最後まで高尾山黒滝不動の信者でした。池田名誉会長は創価学会に入る以前から父と折り合いが悪かったことはよく知られていますが、臨終の間際に創価学会の信心を認めたと言われています。


大作氏は墓の移転をしたいと考えていたのですが、結果的にできておらず、墓はまだ密嚴院にあるそうです。兄弟関係が疎遠になっているという推測がこのあたりからされることがあります。また10人いる兄弟のうち創価学会員は3人(増雄、清信、大作)で、全員が入信されているわけではありません。

















教義は変えるのか、変えないのか。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて創価学会本部は2014年会則改正し、教義を変更しました。
まあそれはそれで構わないと思うんですが、そもそも1995年に当時の秋谷会長が「日蓮正宗の教義を変える必要はない」という趣旨の発言をしています。
ですから教義を改正されるなら、この1995年の秋谷さんの発言は何だったのかということが曖昧にされていると私は思います。
以下に秋谷さんの発言を載せます。




日蓮正宗の教義を信仰するということでは、 私どもは今、日蓮正宗とは現実に関係を絶っている。 そもそも日蓮正宗日蓮大聖人の仏法の本義を正しく伝えるがゆえに、 宗旨の今日があるはず。 だが、現実には僧侶の堕落によって大聖人の正義が保たれていない。腐敗している。 
これを改革して大聖人の本義にもどさなければならないというのが私たちの立場だ。つまり大聖人の仏法の正義を日蓮正宗の教義とするなら、それを正しく堅持し、伝えているのが創価学会だと確信している。従って『日蓮正宗の教義』という文言を変更する必要はないと考える。」 
(1995年12月4日、参議院宗教法人等特別委員会にて、参考人として秋谷栄之助氏の発言)





つまり宗創問題について、95年当時、創価学会としては「大聖人の本義」を正しく伝えているのは創価学会であるという立場だったはずです。だから教義を変えなくても良いという判断だったんですね。
ところが、2014年に教義が変更になります。





創価学会は、大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために、宗門と僧俗和合し、弘安2年の御本尊を信受してきました。


しかし、宗門はいつしか堕落し、衣の権威を笠に着て信者を蔑視し、創価学会を破門する暴挙に出ました。さらに法主詐称者の出現によって、永遠に法主が不在 となり、宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました。大石寺はすでに大謗法の地とかし、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります。

魂の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することなく、弘安2年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。

創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
したがって、会則の協議事項に言う『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います。
」
(原田会長、全国県長会議より、聖教新聞、2014年11月8日付)




これまで日寛上人の教学に基づいて、『一大秘法』や 『六大秘法』ということを使用してきたが、『一大秘法』が 『本門の本尊』であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。
御書に『一大秘法』と教示されているのは、『曽谷入道殿許御書』のみである。そこでは、『妙法蓮華経の五字』(御書1032頁)を一大秘法として明かされている。
以上のように、日寛上人が用いられている三大秘法を合した『一大秘法』、また、三大秘法を開いた『六大秘法』という表現は、御書そのものには説かれていない。
これまで学会では、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、『弘安2年の御本尊』を根本の本尊とする、との日寛上人の解釈を採用してきた。
日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある。日蓮正宗が完全に大聖人の仏法に違背した邪教と化した今、学会は正統の教団として、世界宗教にふさわしい教義の確立という立場から見直しを行っていく。
その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。」
創価学会教学部「会則の教義条項改正に関する解説」聖教新聞、2015年1月29日付)



私は別に教団が教義を改正することを否定しているのではありません。自分たちの教義は自分たちで変えて然るべきです。
私がここで問題にしたいのは、1995年の秋谷氏の発言に見られるように創価学会は当時「大聖人の本義を伝える」正統を主張し「日蓮正宗の教義の文言を変更する必要はない」としていたにもかかわらず、教義変更に関する釈明が原田会長の発言にも教学部解説にも見られないということです。
言い方悪く言えば、要するに「時代的要請」があれば、教義なんてのはどんどん変えればよいと、過去にあった発言なんてのはどうでもよいんだと、そういう姿勢に見えてしまいますよね。少なくとも私にはそう感じられます。








池田名誉会長の歯のこと。






いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今回は、池田名誉会長の歯の問題を取り上げてみたいと思います。池田名誉会長が表舞台から姿を消す前、本部幹部会のスピーチで何度となく「歯が悪くてね」と言われていたことをご記憶の方もいらっしゃると思います。



池田氏の歯の調子が悪かったのは、パフォーマンスではなく事実です。
今回、貴重な情報提供がいくつかありまして、全てを公にはできないのですが、可能な限りでまとめてみたいと思います。


   
池田氏のかかりつけの歯科医は副会長クラスの幹部でしたが、その後降格されたようです。


彼は名医として知られていまして、学会の最高幹部たちもご用達の歯科医でした。
池田氏は長年この方のところに通って歯の治療をしていたのですが、この歯科医の先生と何か関係のこじれがあったのか、しばらくいかなくなっていた時期があったそうです。


そして結果的に歯の具合は悪化。池田氏が再びその歯科医のところに来た時には、もはや手の施しようもなく、歯根も歯茎も酷い状態だったそうです。池田名誉会長は「偏食」で「大の甘いもの好き」であり、咀嚼も辛く食事もままならないほどだったので、何度か打診があったとのこと。



この時、この歯科医の方もかなり高齢になられていて(実際、この時に病院を畳もうかという話もすでにあったようです)、万が一でも治療に失敗して池田名誉会長にもしものことがあっては責任も取れないと治療をお断りしたそうです。
その後本部幹部会でのスピーチでは、滑舌も回を重ねるごとに悪くなります。スピーチを聞いていた方ならご存知のように2008〜2009年頃には口の開閉も難しそうな様子だったことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。そして2010年に公式の場から姿を消すことになります。


   
本部幹部会のスピーチでは実は色々準備をしていて、第一庶務の準備する原稿の他に、池田氏本人が自分で準備することも多くなっていました。それでも長時間話すことが厳しかったようで、長谷川氏に代読させることも多くなりました。
つまり池田名誉会長の滑舌の悪さは生来の江戸弁に加えて、2008年前後は歯の状態が悪く、このために聞き取りづらい状況が生まれていたようです。



よく知られていることですが、虫歯の放置は命に直接関わるような重篤な症状を引き起こすことがあります。代表的な例が敗血症、心筋梗塞、そして脳梗塞です。
放置された虫歯により、虫歯菌は血液の中に入り込みます。これが血液を汚染することで敗血症になることがあります。また虫歯菌による血液の汚染により、血液が固まって血栓が起こりやすくなります。その血栓が脳の血管を詰まらせると脳梗塞、そして心臓周辺の血管を詰まらせると心筋梗塞になるのです。



もちろん推論の域を出ませんが、もしもこの情報提供者の証言の通り、池田氏の歯が虫歯で酷い状態になっていたとすれば、そこから二次的に脳梗塞等の重篤な症状が引き起こされる遠因になったという可能性は十分に考えられることだと思います。




追記:2017年8月28日
池田名誉会長が虫歯の悪化から脳梗塞等の重篤な症状を惹起させたことは、推論とはいえ、可能性として十分にありえることと考えます。






   

ナーガールジュナの系譜。

 

 
 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて私は少しずつナーガールジュナ(龍樹)の『中論』読解を進めています。
私自身は、智顗の空観・中道ということを考える時、どうしてもその原点がどうであったかを検証する必要性を感じていて、その果てに行き着いたところが龍樹の『中論』であったわけです。
 
 
ところで、ナーガールジュナを読んで最近特に読む必要性を感じるのは、やはりチャンドラキールティの『プラサンナパダー』なんですね。中村元氏は龍樹の流れとしてプラーサンギカ派をよく意識していて、やはりチャンドラキールティの中論釈は龍樹理解に必須であることがよくわかります。
 
 
歴史を俯瞰してみますと、ナーガールジュナ(龍樹)の弟子として重要なのは『百論』を著したアーリヤデーヴァ(提婆)、そしてその後継者であるラーフラバドラ(羅睺羅)が挙げられます。
 
 
ラーフラバドラ以降、中観派は一時停滞しますが、5世紀頃に再び活発化します。その人物こそプラーサンギカ派の最初の人物ブッダパーリタ(仏護)だったんですね。
ブッダパーリタ以降、7世紀にプラーサンギカ派に現れたのがチャンドラキールティ(月称)なんですが、彼が中論釈『プラサンナパダー』を著し、スヴァータントリカ派のバーヴァヴィヴェーカ(清弁)を批判することになります。この註は現存する『中論』唯一のサンスクリット註なんですね。
 
 
ブッダパーリタを祖として、チャンドラキールティに代表される系譜はプラーサンギカ派と呼ばれています。
この派はどんな主張であれ、それは必ず誤謬(プラサンガ)に帰着するとして、徹底的な誤謬の指摘を通して、存在の空について相手に悟らせようとする立場であったと考えられています。つまりプラーサンギカ派は派それ自体の主張を持っていないことになります。
そして付言すれば、そのような傾向は、すでにナーガールジュナの中に存在していたと考えられます。
 
 
ナーガールジュナ思想は中国に伝えられましたが、その系譜はクマラジーヴァ(鳩摩羅什)訳によるナーガールジュナの『中論』『十二門論』、およびアーリヤデーヴァの『百論』に基づく三論宗としてになります。日本に伝わった形も当時は三論宗としてです。
天台智顗の言う空仮中の三諦円融、一心三観の教義はナーガールジュナの影響下に書かれたことは間違いないことです。
 
 
 
というわけで、現在の私の課題はチャンドラキールティの註からナーガールジュナを私なりに読む試みになります。
 
 
 
 
参考文献:
中村元『龍樹』講談社学術文庫、2002年
 
 
 
 

私のブログへの批判に対して。






いつもみなさん、ありがとうございます。




さて、最近アクセス数が少し落ち着いてきました(笑)が、それでも少ない日でも一日に2,000件以上のアクセスを頂きます。本当にありがとうございます。激励や質問等のメールも頂き、望外の喜びです。感謝しています! Twitterアカウントも現在フォロワー数が1,500件を越え、まだ増えていることに本当に驚いています。私のブログを好意的に評価してくださる方々もとても増えてきました。ありがとうございます。


またご批判される方もやはりだんだん増えてきたように思います。私としてはいろんなブログの私に対する批判を目にするのですが、多くは宗教的使命感から批判をされているようです。そのような議論自体はむしろ喜ばしいことかと考えています。ありがとうございます。


さていろいろとネット上の批判を読む中で「これは少し誤解されてはいないかなぁ」等思うことも出てきましたので、ここで改めて反論でもないのですが、私の思うことを述べておきたいと思います。誤解のないように書いておくと、私は日蓮系の信仰を軽んじているわけでもありませんし、他宗も一概に批判しているわけでもありません。ただ「思想上の相違を尊重できる関係性」(ローザ・パークス)を築いていきたいだけです。
というか、私のブログが気になるなら、私のことなど一切無視して独自で教義の再構成について思索を深めて頂ければよいだけです。なので、どうして私の浅はかなブログ記事にわざわざ一部のブロガーさんたちがこだわるのか、私には今ひとつわかりません。



1、「気楽非活さんは教祖になる気なのか」

私はそんな気は毛頭ありません(笑)。そもそもそんな才能もありませんし。私の願いは創価学会員にせよ、大石寺信徒さんにせよ、自身で思索し、独自の思想を持っていただくことです。その中でより普遍性のある方の考えが評価されるはずですし、それが私である必要はありません。私の思想の底の浅さは自身が最もよくわかっているので、より普遍性の高い議論ができる方が説得力ある論を唱えて頂ければよいと思います。



2、「気楽非活さんの主張は摩訶止観をベースにしている」

これも誤解なのですが、私が今一番根幹に考えているのは龍樹であり、決して智顗ではありません。というか智顗の思想が龍樹の思想と基本的にリンクするという"仮説"をもって議論してきましたが、どうもそれが本当なのか、私の中ではきちんと検証すべきことかと現在は考えています。



3、「天台大師が法華経最勝を唱えたことは意図的に無視している」


この件に関して私は無視というよりも智顗の五時八教説をむしろ積極的に批判し、否定しています。
「法華最第一」を根拠づける無量義経の「四十余年・未顕真実」の文が偽経であることが現代ではもう間違いのないことですので、天台智顗の法華最第一の根拠は単なる誤りであって、智顗の時代的制約による認識不足であったことは現代においては一般的な認識になっています。なお創価大学の菅野博史教授も無量義経が中国において偽作されたことを著作で認めていますので、それを否定される場合は菅野博史氏の見解を学問的に覆す必要もあるかと思います。



4、「気楽非活さんは広宣流布上行菩薩ではなく宿王華菩薩に付嘱されたと考えているが、それならあなたは宿王華菩薩を拝むのか」


論理が自分勝手過ぎてよくわからないのですが(笑)、そもそも私が法華経を根本にするのか、根本をどのように判釈するのかは私個人の問題であり、誰か別の教義の中で私の考えを評価されても、それはその方の価値観でしかないのであって、私の価値観とは切り結んでないと思います。私は広宣流布ということをさして重要な宗教的タームと捉えていません。
私は薬王品の記述から「広宣流布」ということ、また日蓮が自身を上行菩薩の再誕と捉えた考え方は再考されるべきではないかという問題提起をしたに過ぎません。書いてあることは事実であり(広宣流布上行菩薩だけに託されたという記述は法華経には存在しません)、それをどう考えるかは個々の信仰者に与えられた信仰の課題と考えます。



5、「気楽非活の我見は酷すぎる。それはまさに法盗人だ。」


よく言われるので慣れました(笑)。
勘違いされている方が多いのですけど、この種の批判をされる方は「我見」という言葉を仏教上間違った意味で使われていることに気づいていないんですね。グーグルで「我見」と検索してもわかることですが、本来「我見」とは「我執」のことで、「人我見」と「法我見」と言って、個々の主体の実在と法の実在に固執することを言います。龍樹以前に説一切有部は「人我見」を克服したのですが「法の常住」を主張しました。龍樹が徹底的に批判したのはその「法我見への固執」であり、我見とは本来そのような意味で使われています。決して自分の解釈で経文を読むことが「我見」という意味なのではありません。「自分の解釈で経文を読む」ということが「我見」であるという意味で使われているのはどこかの一宗教団体が「我見」の意味を歪曲して使っていると考えられます。
またもしも「自分を中心にすること」が「悪」であると仮定するなら、それは釈迦の最後の教えである大パーリ・ニッバーナ経の「自らを灯明とせよ」という考え方と相違するかと思います。



6、「あなたは増上慢だ。」


ご批判に感謝します。私としては自身の思想を更新することになんらこだわりを持っていません。つまりそれに文献的な裏付けがあり、説得力あるものなのであれば、私は意見を受け入れて自身の思想をどんどん変えていっても構わないと考えています。ちなみに私の思想を否定されることは構いませんが、私はどんな立場の、どんな考え方であれ、その信仰の立場と相違は尊重したいと思います。
逆に言えば、互いの相違の尊重がきちんとできない傾向は創価学会員さんや大石寺信徒さんの一部に見られまして、そのような発想こそ否定されるべきなのではないでしょうか。





追記:
終わりに


法華経最第一とする天台智顗の五時八教判は漢訳経典の文面から判断されたものであり、現代の史学的研究からは否定されています。


「気楽非活は他宗を用いるから謗法」「気楽非活は増上慢だ」等と主張されるのは思想上の自由です。
私はそのような方たちの信仰を別に否定はしません。ただ私自身が誰かを否定して自身の信仰を立てることをしないだけです。私はこのブログで単なる否定をしているというより、むしろ文献を提示して「そう解釈する方が自然ではないか」という提示をしているに過ぎないのです。


「あなたは日蓮・日興を否定しかねないから謗法だ、間違いだ」と批判されるなら、日蓮の文献学的な研究を通して本仏論の見直しをされている創価大学教授の宮田幸一さん、また阿弥陀思想の研究をしている創価大学・国際仏教学高等研究所の辛嶋静志さん、さらには法華コモンズ研究会(旧・本化ネットワーク)に所属されて正信会系や国柱会系の方たちとともに日蓮思想や創価学会思想の再考をしている創価大学教授の中野毅さんらも同様に批判されるべきかと思います。また創価大学教授の菅野博史さんも無量義経の中国における偽作説を基本主張されていますので、菅野氏もまた批判されるのかもしれませんね。