気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

池田名誉会長の江戸弁。





池田名誉会長のスピーチを本部幹部会の同時放送でもよく聞いてましたが、とても聞きづらかったです。
なんでかっていうと、



名誉会長の言葉って「江戸弁」なんです。
そりゃ聞き取りづらいわけですよ。



江戸弁って何だかわかりますか?
いわゆる東京都中心部(以前の江戸)で使われていた日本語の方言なんです。
昭和3年生まれの御大・池田名誉会長のスピーチはまさに江戸弁の生きた史料みたいなものです。江戸弁の話者は昭和30年代くらいまでの生まれの方にしかいませんから、名誉会長のスピーチは江戸弁の特徴を聞き取るのに非常に貴重なものかと思います。


池田名誉会長のスピーチが「聞き取りにくい」と言う会員も多いのですが、その原因は多分に御大の"江戸弁"に原因があります。ま、一時期、歯の治療もしていたみたいなので、そのせいで聞きづらいという時もあったみたいですけど。



江戸弁の特徴を挙げてみます。
スピーチを聞いたことがある人なら「ああ、そうだそうだ」と頷けることと思います。名誉会長の言葉はかつての江戸弁の特徴を如実に伝えるものです。



「東」→「シガシ」
「羊」→「シツジ」
「執事」→「ヒツジ」
「大臣」→「デージン」
聖教新聞」→「セーキョースンブン」
「獅子身中」→「スススンチュウ」




宝島社から出ていた『となりの創価学会』の中で池田名誉会長のことを「フーテンの寅さん」と論じた論考がありましたけど、故なきことではなくて、確かに寅さんみたいな下町の日本語が池田氏にはあるんですよね。



「みんなコースンルフをめざすて、スススンチュウの敵とたたかおう。そすてさ、みんなデージンになって、セーキョースンブン読んでがんばろ! 賛成の人?」



まあ、そんな日本語だから聞き取りづらいのも当たり前ですよね(笑)。私は名誉会長の庶民的な江戸弁がほのぼのしていて好きでしたが、わかりにくい人がいても不思議ではないかと思います。実際、私も正直聞き取りにくかったことを思い出します。







他宗批判と諸教包摂ということ。

 
 
 
 
 
毎回多くの方に閲覧いただき、ありがとうございます。さて今日の投稿は「日蓮の他宗批判と諸教の包摂性について」です。
 
 
 
文永11年11月20日の『曾谷入道殿御書』の時期から日蓮真言への批判から明確な台密批判を行うようになります。ここで日蓮は慈覚大師円仁への批判を強め、大日経等の真言比叡山に持ち込んだことにより、比叡山に悪義が生まれたとしています(注:実際は円仁らによる天台教学への密教の導入は正しく最澄の意志であったわけで、最澄密教を導入し、総合仏教の道場・戒壇として比叡山を構想していました。ですからここの日蓮の批判は的を逸していると言えます)。
つまりこの時期の日蓮の思想において一切の既成宗派は批判の対象になったということを意味します。
つまり日蓮は立宗宣言以降、天台教学の法華経最第一の思想を堅持していましたが、後年は天台宗そのもの、台密そのものさえも批判の対象となります。
 
 
 
曼荼羅を顕すようになるのがちょうど文永後期の頃です。日蓮はこの時期に密教を参考にしつつも、文字によって諸教、諸仏、諸神を法華経の題目の下に包摂させていく、日蓮独特の法華経の世界観を表現していくことになります。
 
 
 
修学時代の日蓮が見たものは比叡山の衰微する姿であって、真実の教えが荒廃し、釈迦の心が失われていくという姿だったのでしょう。そしてその原因を日蓮法然の『選択集』による念仏の影響だと考えました。
 
 
「而るに法然の選択に依つて則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び付属を抛つて東方の如来を閣き唯四巻三部の経典を専にして空しく一代五時の妙典を抛つ是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る、故に仏閣零落して瓦松の煙老い僧房荒廃して庭草の露深し」
日蓮立正安国論創価学会版御書全集、23ページ)
 
 
 
つまり仏教の正統であるはずの比叡山が凋落・形骸化してしまった「一凶」こそ法然の『選択集』の念仏であり、誰も彼も阿弥陀以外に仏はいないと思うまでになってしまったことをここで日蓮は指摘しているわけです。
 
 
 
比叡山の荒廃を目の当たりにした日蓮はまず法然の念仏批判から始め、教理として法華経の題目の口誦を進めていきます。
「念仏」ではなく「法華経の唱題」、そして「西方の極楽浄土」は「娑婆世界則浄土」であり、「阿弥陀仏教主」ではなく「釈迦仏教主」とするのは、批判をしつつも相当程度に念仏を意識した批判と教理の確立だったと考えられます。
ここから推測できるように、日蓮の思想形成には「批判しつつその宗派から摂取する」という傾向が見て取れるんですね。法華経の題目を唱えるという修行法は日蓮以前からすでに存在していましたが、それを修行の中心として確立し、ただ題目の一言に功徳が包摂されるという考えは口弥念仏の換言ともとれ、また『守護国家論』では浄土の意義を娑婆世界に見出しています。
つまり法華経の名の下にあらゆる宗派を批判しつつ、あらゆる宗派を包摂していく、そういう意志があるように感じられます。
 
 
 
たとえば真言に対する日蓮の態度もそうですね。
最初に書いた台密批判に戻りますが、『守護国家論』(正元元年)の時期の日蓮は明確に法華真言未分の立場でした。それが最初の真言批判に入るのが文永6年の『法門申さるべき様の事』です。台密批判に入るのは文永11年の『曾谷入道殿御書』以降になります。
しかしながら若き日の日蓮真言密教を学ぶ修行僧でした。覚鑁の『五輪九字明秘密義釈』を書写し、『戒体即身成仏義』を著した若き日蓮は明確に真言の徒でした。
そして後年、日蓮真言を批判する時期、文永後期から「曼荼羅」を顕すようになります。曼荼羅そのものが真言由来の語であり、しかも曼荼羅中には不動と愛染が梵字で勧請されています。曼荼羅の中には大日が勧請されて書かれているものも実存しますし(文永9年・平賀本土寺曼荼羅)、『報恩抄』では大日如来は多宝の「郎従」とされています(御書全集310ページ)。そもそも「即身成仏」という概念は空海の造語であり、空海の『即身成仏義』によって表された概念です。
つまり日蓮は他宗を批判しつつも、他宗の教理を積極的に自身の中へ包摂し、法華経の題目を論理武装して先鋭化していったと考えられます。
日蓮は『五輪九字明秘密義釈』を書写したことからわかるように台密の灌頂を受けていたはずですが、ところが日蓮は後年に真言を手厳しく批判します。
日蓮の思想形成には、手厳しく相手を批判しつつも、その相手の思想を法華経の名の下に自身の思想中に包摂してしまうという不思議な二重性が存在するのです。
 
 
 
法華一乗思想をもとに総合仏教の道場として比叡山を構想していた最澄は、本格的な密教の摂取が叶わず、これを円仁と円珍に託します。
最澄法華経を中心とした総合仏教を構想していました。そして日蓮最澄の後継者たることを自称していました。
ただ諸教の包摂の方法が日蓮の場合、かなり特異です。批判しつつもその方法を摂取し、曼荼羅のもとにすべて生かしきっていく。つまりそれこそが「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(『日女御前御返事』)ということの意味なのかもしれませんね。
 
 
 
創価学会員や日蓮正宗の方は、日蓮の教えが純粋な法華経の純粋な唯一の法だと信じる方が多いようですが、自分たちの信じるものの中にも他宗の影響下にあるものが多く包摂されているということをきちんと知るべきであると私は思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

池田名誉会長の原子力についての考え方。






2012年、池田大作名誉会長はSGI提言の中で次のように書いています。


「私は30年ほど前から、原発で深刻な事故が起こればどれだけ甚大な被害を及ぼすか計り知れないだけでなく、仮に事故が生じなくても放射性廃棄物の最終処分という一点において、何百年や何千年以上にもわたる負の遺産を積み残していくことの問題性について警鐘を鳴らしてきました。」
池田大作、2012年SGI提言より)


ところが、アーノルド・トインビー氏との対談において池田会長は積極的な原子力推進派でした。
トインビー対談から池田会長の発言部分を引用しましょう。



「今後のエネルギー資源問題を考えるとき、原子力の平和利用が一つの重要な解決策になるものとみられています。(中略)
原子力といっても、むろん鉱物資源の一種である以上有限であり、将来いつかは枯渇する時がくるでしょう。しかし、世界的にはこれからといってよい分野であり、その単位当たりのエネルギー量からいっても、石油、石炭に代わる動力源として、大いに期待できると思います。
しかしよく知られているように、原子力は非常に危険な、諸刃の剣ともいうべきものです。一方では、人類の福祉増進に限りなく貢献できると同時に、他方では、その用途を誤れば、人類を地球上から抹殺してしまう危険性をもはらんでいます。(中略)したがって、原子力の平和利用それ自体には異存はないにしても、その困難、障害を除去するために、今後非常な研究と努力とが必要とされるでしょう。」
(A・トインビー/池田大作『二十一世紀への対話』(3)聖教文庫版、80〜81ページ、1980年)



確かにここで池田会長は原子力の「諸刃の剣」ともいうべき危険性については言及しています。しかしながら文の前後からも判断できるように池田氏は積極的な原子力利用論者であり、ここでいう危険性ということについても、むしろ原子力の軍事への転用の危険性についてここでは語られており、原子力そのものへの否定というニュアンスは感じられません。基本的に「原子力の平和利用それ自体には異存はない」のですからね。


トインビー氏と池田氏の序文からもわかるようにこの対談が完成したのは1974年(昭和49年)です。
2012年の提言によれば池田氏は「30年ほど前から」「警鐘を鳴らしてきた」そうですが、2012年の30年前というと1982年です。ということは池田氏はトインビー対談以降80年代に入ってから、このトインビー対談の考えを覆す思想的展開、または原子力政策についての考えの変化があったということなのでしょうか。
そんなものないと思いますよ(笑)。だってほとんどの論点について池田氏は「トインビーと共通の見解に達していた」と言っていたではありませんか。私が通読した限り、トインビー対談で両者が意見の一致をみていない項目は「自殺と安楽死の問題」の一点のみで、あとはほとんどの論点で両者はほぼ共通の見解に達しています。



創価学会は過去の総括ができない組織だと私は考えていますけど、ここまで来ると本当に大衆迎合というかポピュリズムとさえ言ってよいと思います。
池田名誉会長はかつて原子力推進派だったではありませんか。その発言の責任はないんですかね。それをすり替えて「私は30年以上前から警鐘を鳴らしていた」なんて嘘だと思いますよ。


まあトインビー対談を実質的に書いたのは第一庶務と書籍代筆チームだったかと思いますから、むしろ信濃町の責任や体質の問題が問われそうですね。



追記:
やや手厳しく書きましたけど、本当はこのトインビー対談はなかなか読んでいて面白いです。現代でも通用する問題が多く、これをもし信濃町の書籍代筆チームが作成したとすると、当時の原島嵩氏らの熱心さというか、思想的努力さえ感じられます。
間違いは別にあったっていいんだと思うんです。大切なことは「あの時はそう言ってしまったけど、今考えると間違っていました」って素直に過去を認めて総括・反省できればいいと思うんですよね。そういう真摯さって池田名誉会長や創価学会本部の方にはないんですかね。









『松野殿御返事』と浄土思想。

 

 
 
 
 
いつもありがとうございます。
「十四誹謗」についていろいろ考えていました。
これ、創価学会日蓮正宗でよく使われる言葉です。とりわけ最後の「軽善、憎善、嫉善、恨善」の四つを決して消えない謗法行為として、お互いに謗ったりしないように厳しく戒めています。
 
 
 
ところで、この「十四誹謗」なる言葉が出てくるのは日蓮述作では私の知る限り『松野殿御返事』(十四誹謗抄)と『念仏無間地獄抄』の二つです。しかも両方とも録外であって真蹟は存在していません。
そしてもっと重要なことですけど、この十四誹謗説って別に日蓮のオリジナルじゃないんですよ。
この「十四誹謗」は天台宗第6祖の妙楽大師湛然の『法華文句記』にある表現です。
 
 
 
もちろんそれだからといって、それが日蓮の発想ではないなんて結論づけるのは安直かなと思います。
ただ日蓮の思想形成に湛然の影響が大きいことはここから考えても疑い得ない気はするんですね。
 
 
 
そもそも「一念三千」という概念を最初に「無上の極説」として宣揚したのは湛然です。彼の『止観輔行伝弘決』は天台智顗の『摩訶止観』に対する現存最古の注釈書ですが、この中で明確になった概念でもあります。
湛然という存在は、唐代における中国の天台教学復興運動の一つとして現れた人物です。その中でどのように天台智顗を解釈するか、その一定の形を示したという意味で湛然は評価されるべき人なのかもしれませんね。
 
 
 
ただこの「一念三千」概念について天台智顗は『摩訶止観』中で一念と三千の関係性について一度述べただけです。ですからこれを智顗の湛然の言うような「極説」とすることは現代ではやや躊躇されるんですね。
そしてまた「十四誹謗」概念も、本来的には湛然に由来する天台教学における概念であるということです。日蓮の『松野殿御返事』では法華経の不軽菩薩の事例を引用して「互いに誹り合わないように」とされています。そして「十四誹謗の心は文に任せて推量あるべし」とされています。
 
 
 
 
日蓮の思想形成にはいろんな影響が見られます。その具体的なヴェールを真蹟遺文から一枚一枚剥いでいって残るものを考えていかないと日蓮の実像にたどり着けない気がしています。
とりわけ私のようにもともと創価学会の活動家だった人間など、頭に余計な観念が洗脳の末に張り付いてしまっています(本当です・笑)。余計な固定概念を捨てて客観的に見ていくことが特に私には大事なのでしょう。むろん完全な客観性などというものは存在しませんけど、そのような自分を可能な限り客観視する姿勢こそ私の自分の過去への総括でもあるんですね。
 
 
 
この『松野殿御返事』の最後はとても印象的です。日蓮がここでは死後の世界のことを語っているんです。さながら浄土思想のようです。
まあ『松野殿御返事』は真蹟が存在しませんから、安易に日蓮述作とも言えません。ただここでの浄土思想のような発想も再考の余地がありそうです。
 
 
 
法華経と「阿弥陀仏」の関係は実は結構深いものです。
創価学会日蓮正宗は「阿弥陀仏」という名前を聞くだけで拒否反応を起こしたりしますが(他宗を無節操に批判・排撃してきた弊害でしょう)、実は法華経阿弥陀仏はちゃんと出てきます。薬王菩薩本事品第23には法華経を修行した功徳として阿弥陀仏の浄土に向かうという表現が出てきます。
ですから法華経の功徳は法華経薬王品によれば「阿弥陀仏の浄土に行けるという功徳」なのです。そう法華経に書いてあります。
 
 
また天台宗でも念仏は行われていたんですよね。9世紀に天台宗第3祖の円仁が常行三昧に念仏を導入します。ですから慈覚大師円仁は天台宗における浄土思想の出発点となっているんです。
そもそも龍樹は『十住毘婆沙論』において阿弥陀仏の浄土思想の功徳を強調していますから、比叡山を総合仏教の道場と考えた最澄の構想から見ても、念仏を天台教学に導入することは抵触しないと思います。
 
 
なんでこんなことを書いているかっていうと、日蓮の思想の中に「娑婆即浄土」とか「娑婆即寂光」というものがあると思うからなんです。
つまり浄土というものも本当は衆生の中にあって菩薩によって浄められた娑婆世界こそが実は寂光なのだと。
辛嶋静志氏の研究などを読むと、鳩摩羅什は大乗仏典漢訳の際、仏国土という視点から浄土という訳語を当てているようで、鳩摩羅什の中では浄土=仏国土というのは前提だったようです。
 
 
当然、薬王菩薩本事品にも阿弥陀仏の功徳がでてくるわけで、そこの整合性をどう保つのかということが日蓮の思想にはあったはずなんです。おそらくはそれこそが「娑婆即浄土」の考え方なのかもしれません。
上記の『松野殿御返事』(十四誹謗抄)の末尾の結論には死後の浄土世界の表現について(正直これはいかがなものかと思うんですけどね・笑)、少なくとも日蓮思想の中になんらかの娑婆即浄土思想があって、その淵源を辿りたいというのが今の私の課題です。
 
 
 
 
 
 
 
 

信仰と学問とは別とはどういうことか。





創価学会の方よりむしろ日蓮正宗の方に多いのですが、

「そんなこと言われても、学問的な研究と信仰は別の次元の話です。私は戒壇の本尊を信じますし、御法主上人猊下を信じます。」

と言われる方がいます。


別に信仰は自由です。
純粋な信仰心を持つことはまことに結構なことです。



しかしですね。私がここで書いていることはそういうことではないんですよ。
要するにどんなに取り繕っても偽物は偽物だし、偽作は偽作だし、嘘は嘘なんです。
嘘の教義とか偽物の本尊なんて信じるに足るんですか?ってことです。



例えば金メダルを勝手に偽造して「これが金メダルだ!」なんて騒いでいるようなものです。
金メダルは国際オリンピック委員会が作るから意味があるんでしょ。
要するに金で作られたらそりゃ金メダルは金メダルなんでしょうけど(笑)、それは本当に信頼性のおけるIOCのものなんですか?ってことです。




日蓮が作ったわけでもないものを日蓮真作と偽って、これこそが由緒ある「金メダル」だと言い張って果たしてその信仰は信頼性に足る日蓮の教えと言えるんですか?ってことです。



本来、教学というものはそれらを検証し、その確証を深めるためのものです。
ところが、教団が提示する教学と言うものが、真実を覆い隠し、信徒を騙し、嘘をついて、ただ信徒を隷属させるだけのものに過ぎないなら、いったい何のための教学なんですかね。


目を覚ましましょうよ。
教団に都合の良い教義なんて要りませんよね。
皆さん方は日蓮正宗のために信仰しているのですかね。
自身が幸せになるためだったり、より良い人生を生きるために信仰の道に入ったのではありませんか?



どこの誰が作ったのかわからない金メダルを金メダルだと信じて、創価学会正本堂まで建ててしまいました。
もうそういうのやめにしませんか?
嘘はどこまで言っても嘘です。
嘘をついている教団についていくのも自由ですけど、何の誰の教えを奉じているのでしょうね。
日蓮正宗は自分たちの教団を仏扱いするどこかの宗教法人とレベル的に同じであることをよく知るべきです。
自分たちの思想の浅はかさに自ら気づくこともできず、自分たちの思想を振り返ることもできない。そういう姿勢を「盲信」というのだと思いますよ。
嘘を平気でついて、日蓮真作だと偽る嘘つきに日蓮を語る資格などありません。日蓮を歪める否定行為だと知るべきです。


そして日蓮正宗のもっと罪深いことは、論理的矛盾を指摘されても「私は間違っているかもしれません」と誠実に答えることができないことです。
間違いはどこまでいっても間違いです。
嘘はどこまでいっても嘘です。
真摯に論理的矛盾に向き合い、自身の信仰の姿勢を省みることこそ、信仰の真実の敬虔さなのだと思いますよ。




五時八教について。





アクセスが増えてきてとてもうれしいです。
みなさん、いつもありがとうございます。



ところで天台智顗が釈迦の一切経の説かれた順番を、経典の内容から考えたのが「五時八教」です。
天台智顗の五時八教の教判によれば、釈迦の経典の説かれた順番は華厳→阿含→方等→般若→法華涅槃だそうで、それで無量義経に説かれた「四十余年未顕真実」の文から法華経が真実を説いた経典だとしたんですね。


で、これは現代においてすでに無効の教理です。意味なんてありません。
私にはこのことは当たり前のことでして論ずるまでもないと思っていますが、なんだか日蓮正宗の一部の法華講の方々はそのことを認めようとしない熱心な方も多いようです。




「五時八教」に則って、なぜ法華経が真実の教えとされるのか、簡単に書いてみましょう。


「四十余年未顕真実」という一文は法華経には出てきません。この一文は法華経の前に説かれたとされる「無量義経」に出てきます。
じゃ、なんで「無量義経」は「法華経」の直前に説かれたとされるのかって言うと、法華経の序品第一で釈迦が瞑想をしているんですけど、その瞑想の状態を「無量義処三昧」としているんです。だから「法華経の前に説かれたのは無量義経なんじゃないの?」ってことなんです。



こんな判釈、現代では何の意味もないってわかりますよね?
要するに漢訳仏典の内容から考えて、経典の説かれた順番を智顗が決めただけなんです。
天台の生きた時代のことですから、当然文献学の知識なんて一切入っていませんし、現代では漢訳仏典の全てが釈迦の滅後数百年後の成立であることはもはや周知の常識です。



つまり法華経は釈迦の説いた教えではないのです。それどころか全ての漢訳仏典が釈迦の説いた教えではありません。唯一、釈迦の教えの形跡を残すのはただ阿含経典部のみということです。原始仏典に一番近いのはスッタニパータになるわけですね。



ですからそのことをよく知った上で、なぜそれを信じるのかと自身に問うことが重要になるんですね。
私はナーガールジュナ以降の大乗仏教運動に思想的意義を認めていますので、その意味で日蓮の信仰を深めているだけです。法華経だけが優れた唯一の教えなんて思っていません。そんな考えをとること自体、非常識です。


僧侶の方は在家よりも仏典を研究することにかけて優位な立場にあるはずです。事実、立派な御僧侶様もおられることでしょう。
けれど現代ではもはや無効の教理に過ぎない「五時八教」を振りかざして、あたかも法華経が釈迦の説いた最高の教えであると主張するとすれば欺瞞も甚だしい。詐欺みたいなものです。在家が何も知らないとでも思っているのでしょうか。



創価学会も『折伏教典』とか小説『人間革命』とかで散々に「五時八教」説に依拠してきたではありませんか。挙げ句の果ては「五時八教」説に従って「四箇の格言」を金科玉条のように振りかざして他宗を排撃してきたのです。
それに対して池田名誉会長のかつての産経新聞でのインタビューにあるように「あの頃の創価学会は若かった」とか言い訳でもして正当化するつもりなのでしょうか。
そうではなくて、「あれは間違っていた」「私たちが悪かった」と素直に総括して認めるべきなのです。
創価学会の一番悪いところは、過去にあった自分たちに都合の悪いことに蓋をして、なかったことにしようとするところです。
「自分たちが間違っていた」と素直に言えない団体に未来を語る資格はないと思います。それこそ池田名誉会長の言う「歴史健忘症」なのではありませんか。



追記:1
日蓮は智顗の五時八教説を純粋に守っていたと思われていますが、実は日蓮は『守護国家論』の中で智顗説の五時八教の順番について「諸の大小乗経は次第不定なり」(創価学会版御書全集40ページ)と順番が前後して違っていることを認めています。
つまりこれは日蓮が智顗の五時説をとりながらも、歴史的な順番については未定であることを既に認知していたということを示していると言えます。
ここから考えると『一代五時鶏図』における諸経の配列に柔軟性がある理由もある程度解明される気がしますが、そういった思想的な再検討については日蓮正宗創価学会もやる気がないようです。


追記:2
最近多方面からいろんな反響を頂き、とてもうれしいです。ありがとうございます。今は周りの人にとても恵まれています。功徳という言葉はあまり使いたくないのですが、毎日が楽しく、いろいろ願いも叶っていろんなことが実現してきましたし、少なからず未活・非活の会員さんが興味を持って当ブログを読んでくださっているようです。
応援してくださる方々に感謝をしてまたいろいろ書いていきたいです。
批判される方も多いと思います。批判される方も読者の方と思い、感謝の思いで書き続けてみたいと思います。ありがとうございます!

















龍樹の『十住毘婆沙論』





龍樹(ナーガールジュナ)の主著と言えば『中論』です。"八宗の祖"と呼ばれる思想家であり、大乗仏教運動は彼がいなければ成り立たないというほどの存在。「第二の釈迦」とも呼ばれた人です。
その彼の思想を語るのに多くの人は『中論』をもって語ります。私もそうです。彼の中観の思想は非常に哲学的であり、説一切有部の権威の欺瞞制を徹底的に暴露した主著と言って良いでしょう。



ところがその龍樹が晩年に『十住毘婆沙論』という書を著しています。この書はいわゆる『十地経』の論釈書とされています。
『十地経』の論釈として有名なものは世親(ヴァスバンドゥ)の『十地経論』と、この龍樹(ナーガールジュナ)の『十住毘婆沙論』になるでしょう。


『十地経論』における世親はその後『十地経』から『無量寿経』に向かいます。これは世親の思想が模索段階にある頃の述作であって、そのための『十地経』の解釈と考えられます。


ところが『十住毘婆沙論』における龍樹は晩年の龍樹です。主著とされる『中論』も『大智度論』も書いた著者が、哲学的な営為をほとんどここでは展開せず、易行道として阿弥陀仏の信仰に向かうという本論の趣旨は俄かには首肯し難いところがあるでしょう。
事実、多くの研究者や僧籍にある方、また宗派等は意図的に『十住毘婆沙論』について語らないことも多く、また『中論』の思想を龍樹の中心説とする方からは『十住毘婆沙論』を偽書として考える人もいるほどです。



けれど私にはここでの龍樹の思いがよくわかる気がするんですね。


『中論』における龍樹は哲学者としての龍樹であり、釈迦の本来の思想を取り戻そうとする使命感と知性に溢れています。読んでいると龍樹の論敵を批判する知性の鋭さを感じます。
しかし『十住毘婆沙論』では一転、彼は仏教に対する知識がない人たち、また思想的に迷いがある人たち、仏教に全く縁がない人たち、そういった人たちをどうやって救うのかという使命感を行間から感じます。



もとより釈迦の本来の教えとは「人がどう生きるべきか」を問うものでした。つまりあらゆる哲学的営為を積み重ねてみても真実に至ることはないし、それらには意味がないと。それよりも我々はどう生きるべきかという問いを突きつけたのがまさに釈迦という存在でした。『中阿含経』にみられる「毒矢の喩え」など最たるものでしょう。



この『十住毘婆沙論』における龍樹の姿勢にはそのようなものを感じます。ここには大乗仏教の徒としていかに娑婆の苦海に沈む衆生を救っていくのかという龍樹の使命感が強く溢れているんですね。
仏の教えが一切空を説くだけのものであるとするなら、画竜点睛を欠くものであって、それは人が生きるべき道とはならないわけです。
真実は真実のままで認識することはできないものです。それはまさに仏の智慧であって、そこに至ることは難行道です。
だとすれば方便として導くことはできるわけで、龍樹はここで徳の高い人たちのために『十住毘婆沙論』を書いていない。そうではなく苦しみ惑い、真実の法もわからない悩み深い衆生のために論は著され、そういった人たちを救おうとしています。
大切なことは生きることであって、そのために一切空を暴露した龍樹がここで衆生の救済のために阿弥陀仏の功徳を説いています。


このように衆生をいかにして救済していくのかという考え方は実は日蓮の思想にもみられるものです。
例えば『唱法華題目抄』では確かに天台、伝教の修行の根幹は一念三千、一心三観なのですが「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず」としました。つまり一念三千の観がわからない末法衆生のために法華経の題目という修行法をここで日蓮は説いています。



また同時に日蓮の門下や弟子たちにあてた手紙には細やかな配慮や精神的な暖かさを感じる、情熱的なものも多くみられます。このへんはきっと創価学会の方や日蓮正宗の信徒の方も理解できることでしょう。
確かに日蓮の魅力というのはその人間的・情熱的なところにあるのであって、書状に時折見せる日蓮の優しさ、励まし、厳しい叱咤などは日蓮の強い魅力となっていることは周知のことでしょう。



つまり大乗仏教の徒として両輪ともに必要なものがあるとするなら、真実の一念三千の空性の喝破と、それを知った上でいかに生きていくかという問いに答えるものでなければならないということです。
仏教には「戒定慧の三学」が必ず存在しなければなりません。日蓮は「三大秘法」としてこの戒定慧の三学を表現しましたが、その真意とはあくまでいかに人が生きるべきかという問いであり、だからこそ日蓮は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞」であるとしたのだと私は思います。





追記:1
龍樹の『十住毘婆沙論』では阿弥陀の浄土の功徳などが主張されています。であるなら日蓮の思想と相容れないと考える人も多いでしょう。しかし日蓮の念仏批判は法然の『選択集』に端を発するもので、法然による法華経否定が日蓮の念仏批判の根拠となっています。ですから法華経さえ否定しなければ阿弥陀仏を称揚することは否定できないはずです。
そもそも『法華経』薬王品では法華経の行者の功徳が「阿弥陀世界への直行」として表現されています。他にも『法華経』には化城喩品で阿弥陀仏が登場するわけで、それらを否定するなら自語相違となってしまいますし『法華経』そのものの否定になってしまいます。「広宣流布」という語の由来は法華経薬王品ですから、薬王品を否定するなら「広宣流布」という言葉も使えないことになります。
日蓮の思想が末法衆生のための法華経根本戒による曼荼羅にあり、法華経の題目により諸教が包摂され「愚者多き世」の末法でも修行できる方法なのだと仮定すれば、日蓮の現代における有効性を主張することは教学として可能かと考えています。


追記:2
最近、私の投稿記事が引用されたり、TwitterFacebook等の一部で話題にあがったりしているようです。本当にありがとうございます。
だいたいのコメントはなんとなく読んで認識しております。引用は遠慮なくしてくださいませ。剽窃と盗用は遠慮してほしいと思いますが、こんな内容のないブログなので盗用されても大したことはないかもしれません(笑)。まあパクリだけはやめた方がよいかと思います。内容がないのがいろんな人にバレる気がしていますし(笑)、バカとかアホとか批判されるのは私一人で十分です。
「気楽に」と銘打っているように気楽に引用して頂いて構いません。
ただ私の判断で投稿記事を時々編集また削除することがあります。ですからその記事が突然なくなってしまうことがありますので、その点だけご容赦くださいませ。
引用されるなら消される前に早めにアップされることを推奨しておきます(笑)。