いつもありがとうございます。
最近はそのことを忘れている方も多いようなので、ちょっと書いてみようと思います。
正信会の問題を考えれば自ずとわかってきます。
昭和50年1月1日に池田会長は大石寺に何も伝えずに御本尊を模刻して、会長本人で本部で入仏式をするという荒技をやってのけました(笑)。さらに大石寺に対して御本尊を模刻したことも入仏式やったこともあとで事後報告ですませるという(笑)。
で、その後、昭和52年路線が打ち出され「学会の会館は現代の寺院」「僧侶は単に儀式を行うだけの存在」「創価学会は在家でありながら供養も受けられる」等々、見解を発表します。
で、活動家僧侶たちは学会を退会した檀信徒たちを法華講に組み入れていきます。後に細井日達さんと学会側が昭和53年にいったん和解するんですが、これらの僧侶たちは日達さんの言うことを聞かずに活動を続けるようになります。この活動家僧侶たちは自分たちの運動を「正信覚醒運動」と呼んでいました。これが正信会の起源です。
そして昭和54年7月22日に細井日達氏が亡くなると、阿部日顕氏が相承があったことを主張して法主に登座します。このことで創価学会との対立を回避したいと考えた宗門首脳部と、学会批判を続ける急進的な僧侶・檀信徒グループが対立するようになるんです。
そして翌昭和55年7月4日に「正信会」が結成され、阿部日顕氏には前法主からの血脈相承の事実が存在せず、法主の資格がないと公然と主張し始めるようになります(ちなみにこの時、山崎正友氏は創価学会を退会し、正信会に参加します)。
この時、日蓮正宗首脳部を擁護したのは実は創価学会の方でした。池田名誉会長自身も阿部日顕氏を擁護する側に立ち、学会内では細井日達氏から阿部日顕氏への血脈相承があったと説明していました。そして阿部日顕氏も創価学会との対立を避け、融和を図ろうとしたというのが歴史的な事実です。
ですから阿部日顕さんは本来学会の擁護派の人だったんです(このことを秋谷さんとか原田現会長とかは当事者だったのでよく知っているはずですよ)。そして創価学会もかつては阿部氏の血脈相承を認めていたという事実があります。そういった過去の発言なんて創価学会や日蓮正宗はあまり大事にされないようです。
もっと冷静に、冷厳に史実を見つめた方がよいのだろうと私は思いますね。