気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

戒定慧の三学。


いつもみなさん、ありがとうございます。


仏法の基本って戒定慧の三学にあるんです。
戒定慧の三学とは仏道に入る者が必ず修めるべき基本の修行のことです。
戒は戒律を示し、定は禅定のことで、慧とは智慧のことを示します。
日蓮の三大秘法という概念は、この三学のことなんですよ。
つまり本門の本尊が「定」で、本門の題目が「慧」で、本門の戒壇が「戒」にあたるわけです。


つまり三大秘法というのは、日蓮の考える三学の表現なのです。
このことをきちんと抑えておかないといけないのに、創価学会員さんは知らないんですね。


で、この三学から三大秘法が来ていることを創価学会員さんは知らないから、御本尊の前であげる題目もおすがりの信仰に成り下がり、ただの呪文になってしまうんです。


つまり御本尊の前に端座することは「禅定」なのであり、あげる題目は「慧」なんです。
三大秘法とは三学であり、本尊の前に座るということは観心の修行です。



例えば『下山御消息』には次のようにあります。


「故に教大師・像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内・其の中・円頓の戒壇を叡山に建立し給いし時」
創価学会版御書全集、347ページ)


ですから、ちゃんと「戒壇」も「戒定慧」の三学の中の戒であるとしていますよね。



そういう基本的な事柄を全く知らずに、やれ三大秘法はこの題目の中に収まっているとか、題目の一声に全てが包含されているとか言ってしまうと、「それって仏法なんですか?」とツッコミたくなってきます(笑)。



日蓮は題目の五字の中に、一切経の宗要を表現したんです。日蓮自身が「肝要を好む」と言われていますよね。より簡潔にまとめたかったわけなんですね。
翻って、創価学会の日々の勤行唱題は、果たして戒定慧を伴った観心の修行の場になっているのでしょうか。禅定の心はあるのでしょうか。
御本尊を鏡と例えることが創価学会員さんは多いですけど、もしも鏡であるならなおのこと自身の内面を御本尊の前で見つめて思索をすることが大切でしょうね。