気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

財務の問題と昭和52年の問題。

池田名誉会長の現在って大変だと思います。

信濃町の弟子たちに組織維持の権威づけにいいように利用され、手も足も出ない。そして静かに亡くなることを待つだけの存在になってしまいました。
もう永遠の指導者ですから。



第一次宗門問題で、池田会長は日蓮正宗宗門に許可も取らず、御本尊模刻に際して池田会長が自分で入仏開眼式で開眼供養までしてしまいました(昭和51年1月1日)。
そして翌年にはあの「仏教史観を語る」でしょう。在家でも供養を受けられるってしちゃった。そりゃ日達管長だって怒りますよ。



私は日蓮正宗という存在が創価学会に必要なのだとは思いません。その是非を問うているわけではない。
そうではない。
私が問題としているのは、池田名誉会長があたかも「宗門から学会は切られた」と被害者のように語っているのに、実際やってた行動は「私たちは宗門なんて要らない」とさも言わんばかりのものだったのではないかということです。
そこに嘘がありませんか?ということです。



昭和52年に池田会長は「仏教史観を語る」を発表して「学会の会館は現代の寺院」と語り、寺は単なる「儀式をする場」としました。更には「在家の身でも供養を受けられる」としました。



この在家供養、財務の問題については、以前ブログでも書きましたが、もう一度触れたいと思います。
この「仏教史観を語る」の発言の意図は何だったのか?



昭和47年「広布第二章」が始まると(正本堂建立以降です)、寺院とは別に「それぞれの地域に相応しい会館を建てる」という名目で特別財務が実施されました(49年)。
これにより、各地に立派な中心会館や研修道場、墓苑が建設されました。
特別財務は、在家でも供養が受けられるとする考え方に基づくものです。この布石の上に後の昭和52年の「仏教史観を語る」も存在するわけです。
結局、お金集めだったのではないでしょうか。



それで池田会長専用の煌びやかな施設も次々と建てられ、この件について民社党が国会で質問しようとしていたところ、学会側は52年にこの趣意書を入手しました。
これにより、一夜にして施設を取り壊したり、また関西の施設について納税を行ったりしています。創価学会がさらなる追及を避けたのかわかりませんが、52年5月に特別財務は突如中止となりました。
そこで財務部員を広布部員と名称を変えました。今のシステムですが、1口1万円、何口でもOKという納金システムにして、広く会員から募るようになったわけです。



強制ではなく自由意志としましたが、最大の問題は、何のためにお金を集めるのかこの時期から曖昧になったことです。
目的がなくなったのです。
「正本堂建立のため」とか
「本山整備」とか
そういう目的観もないお金集めを昭和52年から創価学会は行うようになりました。この根拠こそ池田会長の「仏教史観を語る」です。
だって池田会長のこの指導によれば、在家でも供養を受けられるんですし、学会の会館は現代の寺院なんですから。






そもそも財務部員制度というのは、昭和26年7月の臨時総会で創設されたものです(この年の5月に、戸田城聖氏が第二代会長に就任しています)。


当時の創価学会は会員数5千人弱。その活動資金は、戸田自身の個人資産で賄われていました。
ところが昭和25年に戸田の事業は破綻。理事長も辞任。戸田の個人資産は当てに出来なくなりました。
有志がお金を出し合ったりしていましたが、それらも全て禁止。
新たに財務部員の制度を設けました。



当時の財務部員は誰でもなれたわけではありません。信心がきちんとしていて、ちゃんと定職に就き、経済的に余裕がある会員に限られました。推薦を受け、面接までして、審査を経て任命されたのです。学会のためにお金を出すのですから、それを機に信仰がおかしくなってはいけないという考え方がここからわかります。


そして戸田はこの財務について「本山整備と寺院建立」という目的を挙げています。
一方で、創価学会の経費については必要最小限度にとどめ、無理な金集めはしていません。ちゃんと目的観を持ってお金集めをしたのです。



そもそもお金集めは広布第2章では会館建設のためとしていますが、戸田会長時代、会合は日大講堂などの一般の会場で行なっています。
会合のほとんどは学会員さんの一般の家庭かお寺で行なっていました。
そして戸田氏が会長に就任して財務部員制度を作ったけれど、目的は「本山整備と寺院建立」です。





それがなし崩し的に目的も何もなくなり、創価学会が単純に金だけを集めるようになったのが、昭和52年以降のことです。
余談ですが後年この財務について、福島源次郎氏が池田会長を直接に諌めた点がまさにこの点でした。彼の書いた「誠諌の書」でも最初にこの点が述べられています。
単なる金集めになっているのではないかという指摘はまさにその通りでしょう。



何のための財務なのか、わからないということです。
それで毎年のようにこの時期になれば財務だ財務だというのは、偽善じゃありませんか?
戸田会長の財務部員制度とは似て非なるものではありませんか?
まして財務についての指導で「2ケタ」「3ケタ」に挑戦しようとか、財務に取り組んで功徳を受けようという指導が公然と行われている現在の実態は、戸田会長の時代には見られなかったものです。



そもそも日蓮正宗宗門から離れたんですから、「本山整備」も「寺院建立」も必要ないです。
会館なんて私は要りません。早くテナントに出すか、廃止してほしいくらいです。ただでさえこれから学会員さん減るのに。



私がどうしても納得いかないのは、この昭和52年の「仏教史観を語る」が今でも正しいのかということです。
以前にブログで書きましたが、法華経にはそもそも僧団に供養をするという考えがありません。それらを否定しているのが法華経の思想です。
目的も何もない金集めを、私は信仰活動の一環だとはとても思えません。
別に私は信濃町の学会本部を維持するために信心しているわけではありません。
信濃町がなくなろうが、私は別に困りません。



そういった過去を総括できないのが現在の創価学会です。
過去の過ちについて「あれは間違っていた」ときちんと言えないのが、創価学会の実態です。



宗門なんてさも要らないと言わんばかりの態度で池田会長は御本尊模刻を指示して、法主を呼ばずに御本尊に自身で開眼供養まで行った。
それが創価学会の考えならそれはそれで別にいいんですが、理解できないのは池田名誉会長が「宗門から学会が切られた」ように語っていることです。学会がさも被害者であるかのように会員に偽装していることです。



在家中心主義を当時からとっていたのなら、それは教義的に日蓮正宗とは別のものです。
だったら自ら離れればよかったではありませんか?
なぜ自分たちがあたかも宗門から切られたかのように偽装するのでしょう?
宗門と教義が違うのであれば、それはそれで別れるという選択肢でよいではないですか。
なぜ宗門から切られたと偽装して、宗門を口汚く罵らなければいけないのでしょう。


僧侶の開眼供養なんて必要ない、法要なんて在家だけでできる、そして在家でも供養は受けられる、そのことを身を持って実践したのは誰か?
それこそ当時の池田大作会長なのではありませんか?



その過去の反省はどう総括するのでしょう?
仏教史観を語る」を書いたのは誰なのでしょうか?
少なくとも発表したのは池田会長ですから、その責任が池田会長にあるのは当然のことでしょう。
この「仏教史観を語る」は今でも正しいのでしょうか?
創価学会の公式見解はどうなのでしょうか。
在家でも供養を受けられるから、特に名目がなくても財務でお金集めしてもいいということなのでしょうか。
数十万円単位、時には数百万円、数千万円単位で「2ケタ」「3ケタ」「4ケタ」やろうと幹部が呼びかけ、それに応えてたくさんお金を出すことが信仰の活動の一環なのでしょうか。
目的もなく、創価学会という組織にお金を払うことが、果たして宗教の活動なのでしょうか。
奉仕の心でたくさんお金を出したら、その分功徳があるという指導を学会は認めるのでしょうか。
お金を払う財務部員を多く増やすことが信仰の一環なのでしょうか?
それって宗教団体がやることなのでしょうか。
法華経の行者はそういうお金集めをすることが信仰の活動なのでしょうか。
法華経にそう書いてあるのでしょうか?
御書にそう書いてあるのでしょうか?
創価学会の会員さんの多くは人が良く、面倒見の良い人が多かったです。
そういった人たちに「財務に功徳がある」と言って組織はお金を払わせるのでしょうか。
素直な創価学会員さんを騙すようなことをして金を払わせておいて、学会本部は何も感じないのでしょうか?
良心の呵責を感じないのでしょうか?




私が活動家をやめるに際し、一番最初にやめたことはこの財務でした。
年々金額を減らしていきました。
一口だけの一万円にしようと母に話したら、母もそうしたいと。
で、一万円だけにしたら、まあ気分のよかったこと(笑)。
母も「もっと早くこうしたらよかったね」とか言ってました。
「だって真心だもの。金額なんてどうでもいいよね?」
その通りだねと母に私は言いました。
そして最終的に私は一切入金しなくなりました。


私は信濃町の組織を維持するために信仰をしているわけではありません。
学会本部の職員に給料を払うために信仰しているわけでもありません。
私も、私の母も父も散々財務やってきました。
その金額は累計すれば大変な金額です。
もういいじゃありませんか。
目的も別にないんですから。
正本堂をこれから建立するわけでもないし。
会館なんてもう要りませんし、
信濃町に供養するという考え方は私にはありませんから。
学会本部がなくなっても、別に私は困りません。



会則改正で組織を「創価学会仏」としてしまえば、組織への供養も仏への供養だと公言できるし、御本尊も自分たちで認定も作成もできるし、学会批判する会員を一方的に「仏への悪口」として切ることもできますよね。
組織としては良いことずくめなのでしょう。
そしてその権威づけに、いいように使われているのが、現在の御大池田名誉会長ですね。
それに対して何も発言できず、ただ余生を生きるだけの存在になってしまいました。
すでに会則上は「永遠の指導者」ですから。





追記:
私はもう座談会とか参加してないので、知る由もありませんが、未だにこの時期の座談会の御書講義とか幹部指導って「財務がんばろう」とかなんですかね。「白米一俵御書」とか講義でやったりとかするんですかね?
もしそうだとしたら、ますます座談会になんて行きたくないですね。