気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「勘文」について。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は「勘文」についてです。
「勘文」とは何でしょう?
実は日蓮は『立正安国論』を「勘文」としているのです。
 
 
「勘文」をWikipediaで調べてみると、朝廷から諮問依頼を受けた神祇官陰陽師等の学者が書いた調査報告のことだということです。
元来「勘文」とは、陰陽道明経道の諸家の専門家が、ある文証によって天文現象や自然現象を故実来由を勘考し、未来相を予言して結論を上奏するものです。
ですから、国家の為政者に対して「勘文」を上奏するというのは、本来仏教の考え方というよりも、陰陽道儒家の発想です。
事実、日蓮は『立正安国論』自体を「勘文」として考えています。『安国論御勘由来』から引用してみましょう。

日蓮世間の体を見て粗一切経を勘うるに御祈請験無く還つて凶悪を増長するの由道理文証之を得了んぬ、終に止むこと無く勘文一通を造り作して其の名を立正安国論と号す」
日蓮『安国論御勘由来』創価学会旧版御書全集32ページ)
 
 
ここからもわかるように、日蓮が『立正安国論』を「勘文」とするのは、仏教の発想ではなく、むしろ陰陽道儒家の考え方です。そもそも干支の記載からもわかるように日蓮は太歳紀年法を用いて年号を表します。それは中国から伝わった紀年法であり、陰陽五行説と結びついており、儒教の思想が色濃いのです。
 
 
多くの方がおわかりのように『立正安国論』とは予言の書であり、三災七難の予言を含んで日蓮は『立正安国論』を「勘文」の一つとして捉えていたことは間違いないでしょう。そしてそれは仏教の思想ではなく、むしろ陰陽道儒教の思想によるものなのです。
『宿屋入道への御状』でもやはり『立正安国論』は「勘文」とされています。

また玉沢妙法華寺に現存する日興による『立正安国論』写本には、日興の筆できちんと「天台沙門日蓮勘之」と書かれていまして、きちんと「勘」すなわち「勘文」の意義が日興によって書き残されているのです。

 
私は以前、このような日蓮儒教的発想について記事を書いたことがあります。
 
「『立正安国論』の儒教的な発想」
 
日蓮の国家的な発想、奏状や勘文といった発想は、その予言的性格も相まって非常に儒教的また陰陽道的な発想を有しています。そもそも法華経安楽行品では仏教者は為政者と関わってはならないとされ、仏教には本来政治と関わる考え方はないのです。
近代に入り、日蓮主義者が国家主義的な考え方をとったり、戦後の創価学会が政治に関わったりする発想は多分に日蓮思想に基づくものかと思います。しかしながら政府を動かすような「勘文」という考え方は、本来儒教陰陽道の思想なのであって、仏教とは全く違う思想が日蓮思想にはルーツとして存在することになるでしょう。
 
 
 
参考文献
岩佐貫三『日蓮の用いた勘文(かんもん)の義について』印度仏教学研究39号所収、1971年。