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さて今回は「勘文」についてです。
「勘文」とは何でしょう?
ここからもわかるように、日蓮が『立正安国論』を「勘文」とするのは、仏教の発想ではなく、むしろ陰陽道や儒家の考え方です。そもそも干支の記載からもわかるように日蓮は太歳紀年法を用いて年号を表します。それは中国から伝わった紀年法であり、陰陽五行説と結びついており、儒教の思想が色濃いのです。
多くの方がおわかりのように『立正安国論』とは予言の書であり、三災七難の予言を含んで日蓮は『立正安国論』を「勘文」の一つとして捉えていたことは間違いないでしょう。そしてそれは仏教の思想ではなく、むしろ陰陽道や儒教の思想によるものなのです。
『宿屋入道への御状』でもやはり『立正安国論』は「勘文」とされています。
日蓮の国家的な発想、奏状や勘文といった発想は、その予言的性格も相まって非常に儒教的また陰陽道的な発想を有しています。そもそも法華経安楽行品では仏教者は為政者と関わってはならないとされ、仏教には本来政治と関わる考え方はないのです。
近代に入り、日蓮主義者が国家主義的な考え方をとったり、戦後の創価学会が政治に関わったりする発想は多分に日蓮思想に基づくものかと思います。しかしながら政府を動かすような「勘文」という考え方は、本来儒教や陰陽道の思想なのであって、仏教とは全く違う思想が日蓮思想にはルーツとして存在することになるでしょう。
参考文献
岩佐貫三『日蓮の用いた勘文(かんもん)の義について』印度仏教学研究39号所収、1971年。