いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は戒壇本尊本体の下部に付いていることが推定される、奇妙な2本の「束」(つか)について、書いてみたいと思います。
「戒壇本尊が偽物である理由を列挙してみる」
余談ながら、Wikipediaの「本尊(日蓮正宗)」の「本門戒壇の大御本尊」の項目で、上記の私のブログ記事における「偽物の理由の列挙」がコピーペーストされ、編集されています。どなたかはわかりませんが、結果的にブログを紹介して頂ける形になり、個人的には感謝しております。
さて、戒壇本尊の形状についてですが、金原明彦氏の『日蓮と本尊伝承』(水声社、2007年)によりますと、昭和47年(1972年)10月の正本堂建立に合わせて、仏師の赤澤朝陽で戒壇本尊の寶筺(厨子の内側で板本尊を直接保護する箱)が新調されており、その時の制作風景が同書で紹介されています。今回はそれらを紹介してみましょう(同87〜88ページ)。
また同書では平成14年(2002年)の奉安堂建立時の寶筐の寸法図面も紹介されています(同89および93ページ)。
正本堂と奉安堂の二つの寶筐の画像を見て、みなさんは奇妙に思われなかったでしょうか?
それは戒壇本尊の下部にあたるであろう位置に存在する、二つの足「束」(つか)の存在です。
この束はきちんと寶筐の下部の空間として確保されています。すなわち戒壇本尊本体下部に台座に安置されることが前提となるような二つの足が当初から存在していたということになります。
私は大いに疑問符がつくと思います。
著者の金原氏も同書の中で、台座を含めて180センチメートルを越えた高さの本尊を、弘安2年時点で身延の草庵に安置できるかに関して、同様の疑問を呈しています。