いつもみなさん、ありがとうございます。
戒壇本尊は「弘安2年」の造立と
大石寺は主張しています。
ところが、弘安2年に書かれた
日蓮真蹟本尊では
天照大神と
八幡大菩薩を「経」の字の左右に書いたものは一体もないのです。
例えば本尊集69番、弘安2年11月の沙門日永授与本尊を見ると、
天照大神と
八幡大菩薩は首題の「経」の字より遥かに下方に配置されているのです。
弘安2年の
日蓮真蹟本尊を本尊集59から70番まで全て見ましたが、「経」の字のすぐ左右に「
天照大神」と「
八幡大菩薩」が書かれたものは一つもありません。全て「経」の字の下方に配されて書かれているのです。
これが変化してくるのは弘安3年であり、例えば弘安3年3月の臨滅度時本尊になると、「経」の字のすぐ左右に
天照大神と
八幡大菩薩が書かれるようになります。
実際は本尊集を見たところ、弘安3年になっても弘安2年同様に
天照大神と
八幡大菩薩を下方に配する書法がまだ多く散見されます。
しかし「経」の字のすぐ左右に
天照大神と
八幡大菩薩を書く書法は弘安2年には全く見られず、弘安3年の一時期に出てくる書法なのです。
ここから考えるなら、
戒壇本尊は弘安2年に造立されたものではなく、むしろ弘安3年期の
日蓮真蹟本尊を模造して後世に偽作された可能性が高いように思います。