気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺歴代法主の国家諫暁に『三時弘経次第』は添付されている。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて私は、日蓮の弟子である日興には、師匠の日蓮を本仏とする思想がないことをこのブログでは繰り返し述べています。
事実、日興の『三時弘経次第』でも末法における本門寺の本仏は「久成釈迦仏」であるとされ、その弟子が日蓮であるとされています。日興の文献のどこにも日蓮を本仏とする考えは存在しません。


ところで、この日興の『三時弘経次第』ですが、日興の真蹟は存在しません。大石寺に古写本が存在することが知られています。
日興の『三時弘経次第』は比叡山を迹門寺、富士山を本門寺とする思想が説かれますが、同趣旨の内容は日興の『本門弘通事』に書かれています。そして『本門弘通事』には日興真蹟が現存していることから『三時弘経次第』が日興の真作であることはほぼ疑われていません。



ところが、そんな私の主張に対して「『三時弘経次第』なんて聞いたことがない」「そんなものはただの偽作だ」と、文献も読まずに何の根拠もなく声高に主張するだけの法華講信徒の人たち、また創価学会の信徒たちが一部いることに呆れてしまいます。



もし仮に彼らが言うように『三時弘経次第』が本当に偽作だとするなら、一体どうなってしまうのでしょう。
なぜそう言うのかといえば、それは大石寺の歴代法主の国家諫暁の『申状』には、必ず『三時弘経次第』が添付されて上奏された事実があるからなのです。
少なくとも各申状の文面から見れば、大石寺開山の日興、3祖日目、4世日道、5世日行、6世日時、9世日有の申状全てに日興『三時弘経次第』が添えられて提出された事実がわかります。



開山日興は当然として、まず3祖日目の申状を具体的に見てみましょう。以下は日目『申状』の文面ですが、きちんと申状天奏の際に『三時弘経次第』が添付されたことがわかります(『日蓮正宗歴代法主全書』第1巻211ページ)。



次に大石寺4世日道の『申状』です。きちんと「副進」と書かれ、添付された文書として『三時弘経次第』の書名が書かれています(同278ページ)。日道は天奏をした事実がありませんが、申状を作り、その写本が現存することが『歴代法主全書』からわかります。



次は大石寺5世日行です。日行の申状上奏は暦応5年3月、北朝光明天皇に対して行われています。この時の様子が『有師物語聴聞抄佳跡』に記録されています。やはりこの申状にも日興の『三時弘経次第』が添付されたことがわかります(同297ページ)。



最後に大石寺中興の祖とされる、9世日有の『申状』です。日有の申状上奏は、室町幕府6代将軍足利義教の治世下であり、後花園天皇の時であったとされます。この『申状』にもきちんと『三時弘経次第』の名が記載されています(同430ページ)。



このように、大石寺歴代法主たちは国家諫暁の際、日興の『三時弘経次第』を添えて提出しています。それほど『三時弘経次第』は重要な著作とされていたわけで、末法における本門寺を富士山とすべきとされた同文献が申状とともに提出されたことになります。


これらを見ても、創価学会日蓮正宗の信徒たちは「三時弘経次第なんて読んだこともない」「そんなものは偽書に違いない」と主張するのでしょうか。大石寺歴代法主の申状を読めば『三時弘経次第』が如何に重視されていたかがわかります。彼らは自分たちの無知を恥ずかしいとは思わないのでしょうか。


像法時代における迹門寺を比叡山とし、末法における本門寺を富士山とする、そしてその本仏を「久成釈迦仏」とし、その付属の弟子を「上行菩薩日蓮聖人」とする、そして久成釈迦仏の垂迹神を「天照大神八幡大菩薩」とするのが『三時弘経次第』の内容です。そしてこの書が日興以下、各歴代の法主の申状に添えられて提出されてきたのは、疑いなく事実だと思います。