気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

三代会長に匹敵する指導者は今後もう出ないという認識。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会は、2017年11月18日から施行された「創価学会会憲」において、牧口常三郎戸田城聖池田大作の三代会長を「永遠の師匠」としています。
教義的に破綻している元鞘の大石寺から離れたかったのかと思いますが、結果として三代会長までを権威化することになりました。

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まあ、教団が何のどこを根本にしようが、教団の勝手なんですけど、私が疑問に思うのは、三代会長までを「永遠の師匠」と決めてしまったので、今後、会の新しい指導者となるべき未来の会長の芽を会自らが摘んでしまった点です。



教団は人間が運営するもので、人間は不死の存在ではありません。いずれ運営する人間が入れ替わるのは避けられないのです。
池田大作氏は、公式に会長になる前から、蒲田の二月闘争や大阪の闘いなど、青年時代の華々しい活躍がクローズアップされてきました。



今後、そういう人材が出てくる可能性はもはやないと考え、三代会長までで「永遠の師匠」を打ち止めとするというのは、如何なものかと私は思います。新しい人材の華々しい登場によって、会が劇的に生まれ変わり、飛躍する可能性はもはやないのでしょうか。大石寺にも「中興の祖」があったように、歴史的に盛り返す、そういう指導者はもはや出ないのでしょうか。
創価学会員が毎日拝んでいる本尊は、大石寺の26代目の管長の日寛書写本尊です。
たかだか第6代会長までしか出てきていない、教団の歴史で、今後、三代会長たちに匹敵するような未来の指導者は「もう出ない」ということで、本当によいのでしょうか。



「それでよいのだ、私たちは永遠に三代会長を師匠とするのだ」ということなのであれば、私は教団が既に未来の可能性を自ら閉ざしてしまったように思えてなりません。