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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

ジャン・ポール・ゲティ美術館訪問について。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、最近ブログで書いている『創価学会年表』(創価学会年表編纂委員会編、聖教新聞社、1976年)ですが、昭和49年の記述で、池田大作氏が「J・ポール・ゲティ美術館」を訪問していることが記録に残されていて、ちょっとした衝撃を受けました。



J・ポール・ゲティは、当時世界一の大富豪として知られる実業家であり、石油王と呼ばれた人物です。池田大作氏は1974年(昭和49年)4月6日、彼が創設した、J・ポール・ゲティ美術館を訪問しています。

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ではこのジャン・ポール・ゲティは、いったいどういう人物だったのでしょうか。
まずジャン・ポール・ゲティ本人は多額の費用をかけ、ゲティ美術館を創設しましたが、完成が死の2年前ということもあって、本人は一度も訪問をしていません。
彼は46歳まで5人の女性と結婚し、子どもを作っては離婚をしました。そして子どもができると、長い旅に出かけて帰ってこなかったそうです。愛人も多数いたことで知られています。
ジャン・ポール・ゲティは「類い稀なるケチ」として知られていました。彼は自宅で客がかける電話代が高かったことから、公衆電話を置いて料金を客に払わせたり、誘拐された孫のために身代金を値切ったりしていました。嘘だと思ったらぜひ「ジャン・ポール・ゲティ」で検索してください。本当のことです。彼は挙げ句の果ては、身代金の支払いを利用して節税しようとしていたほどの人物です。



池田大作氏が世界的な美術品を鑑賞するために「J・ポール・ゲティ美術館」を訪問することは、別に構わないことかとは思いますが、庶民の味方、庶民の王者を自称する人物が、なぜ石油王と言われた成り上がりのジャン・ポール・ゲティ氏が創立した美術館を訪問しなければならないのか、いささか理解に苦しみます。