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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

紫宸殿本尊は、大石寺天王堂に安置されていた。




いつもみなさん、ありがとうございます。



ところで以前、紫宸殿本尊について書いたことがあります。



「紫宸殿本尊とは」

戸田城聖の紫宸殿に関する発言」



大石寺では古来、広宣流布の時に至って天皇の紫宸殿に奉掲する「紫宸殿本尊」というものが伝わっていたと、かつてはしていました(ただし2002年の虫払い法要で、大石寺67世の阿部日顕氏は大石寺法主としては初めてこれを否定し「師子伝授の御本尊と呼ぶのが正しい」と発言し、古来の教義は否定されました)。



ところが、この「紫宸殿本尊」ですが、大石寺宝蔵に祀られる前に、なんと天照大神垂迹の「天王堂」に奉掲されていたことが記録に残されています。
『富士宗学要集』第8巻から、そのまま引用してみましょう。


「(弘安三年三月日紫宸殿の本尊を模刻し左の加筆を為す)文安二年乙丑十一月六日、九世日有在判、須津(すど)の庄鳥窪の住持日伝に之を授与す、
編者曰く一時天王堂に安置せしが廃堂の後宝蔵に在り、御身替り本尊と称して奇怪の伝説あるは近古の訛伝か、鳥窪の旧地存すれど今其の址だに無し、或は本広寺の前身にあらざるなきか。」
(富士宗学要集8-194ページ)

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『富士宗学要集』の編者で大石寺59世の堀日亨氏は『有師化儀抄註解』の中で「又神社なき地に新寺を建立したるときは、更に其縁由の神を勧請して・垂迹の宮を建つ、日蓮宗殊に本宗には天照大神御神・八幡大菩薩を勧請すること、近時まで在りし吾本山の天王堂垂迹堂の例」(同1-158ページ)と述べていまして、近年まで天照大神のための天王堂垂迹堂が大石寺に存在していたことを述べています。
そして、その天王堂に安置されていた本尊こそ、模刻された「紫宸殿本尊」であり、その本尊には大石寺9世日有の判が書かれていることになります。