気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

青年・飛躍の年。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会の2022年のテーマは「青年・飛躍の年」だそうです。原田稔会長は「飛躍」という言葉が初めて出た意義を妙に強調したいような口ぶりでしたね。
創価学会のこれまでの年間テーマを、並べてみましょう。以下をご覧ください。



創価学会・毎年のテーマ


1959年(昭和34年)黎明の年
1960年(昭和35年)前進の年
1961年(昭和36年)躍進の年
1962年(昭和37年)勝利の年
1963年(昭和38年)教学の年
1964年(昭和39年)団結の年
1965年(昭和40年)勝利の年
1966年(昭和41年)黎明の年
1967年(昭和42年)躍進の年
1968年(昭和43年)栄光の年
1969年(昭和44年)建設の年
1970年(昭和45年)革新の年
1971年(昭和46年)文化の年
1972年(昭和47年)地域の年
1973年(昭和48年)教学の年
1974年(昭和49年)社会の年
1975年(昭和50年)教育・家庭の年
1976年(昭和51年)健康・青春の年
1977年(昭和52年)教学の年
1978年(昭和53年)教学の年
1979年(昭和54年)人材育成の年
1980年(昭和55年)地域の年
1981年(昭和56年)青年の年
1982年(昭和57年)青年の年
1983年(昭和58年)建設の年
1984年(昭和59年)健康の年
1985年(昭和60年)開拓の年
1986年(昭和61年)人材育成の年
1987年(昭和62年)平和・地域の年
1988年(昭和63年)信行・成長の年
1989年(平成元年)行学・前進の年
1990年(平成2年)原点・求道の年
1991年(平成3年)平和と拡大の年
1992年(平成4年)創価ルネサンスの年
1993年(平成5年)創価ルネサンス・勝利の年
1994年(平成6年)創価ルネサンス・栄光の年
1995年(平成7年)栄光・躍進の年
1996年(平成8年)新世紀・大勝の年
1997年(平成9年)新世紀へ前進の年
1998年(平成10年)新世紀へ民衆勝利の年
1999年(平成11年)新世紀へ地域勝利の年
2000年(平成12年)21世紀開幕 青年の年
2001年(平成13年)新世紀 完勝の年
2002年(平成14年)対話拡大の年
2003年(平成15年)栄光・大勝の年
2004年(平成16年)創価・完勝の年
2005年(平成17年)青年・拡大の年
2006年(平成18年)青年・躍進の年
2007年(平成19年)前身・勝利の年
2008年(平成20年)人材・拡大の年
2009年(平成21年)青年・勝利の年
2010年(平成22年)創価完勝・青年躍進の年
2011年(平成23年)人材・躍進の年
2012年(平成24年)青年学会 拡大の年
2013年(平成25年)青年学会 勝利の年
2014年(平成26年)世界広布新時代 開幕の年
2015年(平成27年)世界広布新時代 躍進の年
2016年(平成28年)世界広布新時代 拡大の年
2017年(平成29年)世界広布新時代 青年拡大の年
2018年(平成30年)世界広布新時代 栄光の年
2019年(令和元年)創価勝利の年
2020年(令和2年)前進・人材の年
2021年(令和3年)希望・勝利の年
2022年(令和4年)青年・飛躍の年




来年は創価学会の「青年」が「飛躍」する年なのだそうです。
ということは、2017年「青年拡大の年」に拡大した青年たちが、2022年に「飛躍」するという理解でいいのでしょうか。
その割には、地方の青年部の統監数、活動家数は激減の一途を辿っているように思いますが。
だいたい2013年は「青年学会・勝利の年」です。2013年に青年部が勝利していれば、今頃、その青年たちは創価学会を背負って立つ人材として地域に根を張っていてもおかしくはないでしょう。それなのになぜ地域で、地区幹部もブロック幹部も不足しているのでしょうか。




きれいな言葉を踊らせて、皆をやる気にさせるのは、池田大作氏の以前からの手法ですが、その裏に現実に何が起こっているのかを見れば、創価学会の現在の実態が推察できる気がしますね。
大石寺宗門も創価学会もいずれ人材が枯渇し、青年層は激減します。今よりも更に減るだけです。何しろ出産可能な女性がいません。これを読んでいる創価学会大石寺の信徒さんは、嘘だと思ったら、ぜひ自分の地域の身近な信徒を見渡してみてください。子どもを今後出産できる年齢の方って、そんなにたくさんいますか?


今後の創価学会の人材育成の取り組みは(大石寺もそうですが)、せいぜいできて青年層の目減りを若干遅くするくらいにしかなりません。要するに組織の延命です。
もはや創価学会の衰退を止める方法はありません。それを止めるためには1990年代に有効な打開策を打つべきでした。2000年の「青年の年」は遅かったのです。
創価学会は、過去の総括を行い、有効な打開策が全て失敗だったということを認めないと、今後の発展はあり得ないと思います。あとは緩やかに衰退するだけです。
これを読んでいる、創価学会本部、信濃町職員の方は、いつ創価学会に見切りをつけて抜けるかを考えておいた方がよいと思います。すでに私のところに連絡をくださる仮面幹部は、そんなことを仰る方が「複数」いらっしゃいます。