気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

無意味なまでの写真の大きさ。





いつもみなさん、ありがとうございます。



最近の聖教新聞の内容の劣化は酷いもので、教学的な追求もほとんどなく、文字のフォントも大きくなり、何のための機関紙なのか正直わからないほどです。
最近、とりわけ気になっているのが、日曜の一面に出る写真の無意味なほどの大きさです。

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この写真を見て、なぜそんなにまでして一面の3分の1以上を信濃町の大誓堂の写真で埋めなければならないのか、その理由が今ひとつわかりません。
それとも信徒のみなさんは、池田大作氏が撮影したという、この大誓堂の写真を見て何か気持ちが上向くとでも言うのでしょうか。
私には全く理解できない世界です。


もう少し紙面を充実させるとかそういうことを考えればいいのですが、この日の4面の御書の記事は『呵責謗法滅罪抄』です。先日の『善無畏三蔵抄』と言い、なぜ創価学会は真蹟不存の偽書説の濃厚な遺文ばかり紹介するのでしょう。真偽未決の問題にも全く触れておらず、これでは創価学会日蓮門流として真摯に日蓮の思想を求めようとしているのか疑問視されても仕方ありません。



内容の無さを無意味な伽藍の大きさで誇張したところで、内容の無さが歴然としているのに、そのことに気づかないのは、大石寺系教団らしいなぁと思います。