いつもみなさん、ありがとうございます。
「では気楽非活さんはいつ頃からそのことに気づいていたのか?」と問われれば、広宣部の活動家の頃に薄々と気づき始めていました。
ただ当時は信じられない思いも多かったので、なるべく手に入る文献を参考に、必ず自分の目で確かめるようにしました。
現在の私のブログ記事は、手元に集めた文献から少しずつ拾い出し、その検証をしてきた結果です。ただその中に一部、ネット由来の情報もあり、その点についてはきちんと検証をして、信用性の高いと思われるものを挙げるようにはしています。
私のところに漏れ入ってくる情報によりますと、多くの元活動家さんが私のブログを読んでくださり、活動から離れたり、また地域組織の地区幹部等に話したりされる方も少なからずおられるようです。改めて感謝申し上げます。ありがとうございます。
確かに私も広宣部時代にこのブログで書いてある多くのことに薄々と気づいていましたが、正直な話、会員に大っぴらに話すのは憚られました。「こんなことを話したら組織が大騒ぎになってしまう」という思いが当時の自身にあったことは間違いありません。
ただ壮年部に移行し、両親を亡くし、親類も皆亡くなり、家族を失って独りになった時、初めて自分の生きてきた人生を省みる心境になりました。それは「私の人生はいったい何だったのだろう?」という強い疑問と後悔の念でした。
人は自分の生きてきた人生を省みる心にならなければ、自身の思想的基盤を疑うことなどできないでしょう。
ですから、このブログを読んで共感して頂いた方には、活動家の人に話すよりもブログを見るか、ブログを見て自分で考えることを勧めた方が良いのではないかと感じています。
一応、ブログ記事に関してはなるべく史料を挙げ、客観的に書くようにしています。それを読んだ読者の方が検証の上、どう考えるのかはその人の自由であると思います。
私は自分の思想を他者に押し付ける気は毛頭ありません。私は日蓮思想からも離れて親鸞や龍樹の念仏思想に接近していますが、自身の念仏の考えを人に勧めようなどと思ってもいません。また浄土真宗の信徒になる気もありません。私は現代において、教団というものがもはや不要になる時代を迎えているのだと考えています。
大切なことは自分で考えることだと思います。考えもせず、検証もせず、教団の提示する表面的な教義を鵜呑みにするからこそ、そのような表面的で教条的な教団が幅をきかせるようになるのではないでしょうか。
一人一人の信仰者が自立し、自身で文献を読み、検証して時には自身の思想を更新する誠実さを持つことができれば、必然的に教団は不要となり、自然に瓦解していくだけでしょう。
私のブログを読んで頂くことはありがたいことです。しかしそれ以上に大切なことは自分の頭で考えることなのだと思います。自分で考えることを放棄し、教団の提示する教義に固執する限り、真の信仰は生まれ得ないのではないでしょうか。