気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

出入りの多い宗教法人の変節。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会の公称世帯数は約827万世帯といわれています。
本当かどうかは知りませんが、ただ創価学会は信徒数を「頒布した本尊の数」とカウントしています(基本は1世帯に1本尊)。なので、信濃町創価学会本体としては「827万の本尊を頒布した」ということから、この世帯数を謳っているのでしょう。



ところで多くの人が指摘もし、個人的な実感からも思うことですが、創価学会というところは、出入りの多い宗教という感じがします。
入会したと思ったら音信不通になってしまったり、絶対その住所にその人が住んでいない筈なのに、統監上のみ当人の所在を残しておくことがよくあるからです。



私もかつて男子部の部幹部や本部幹部だった時には、四者とは別に男子部の統監を見ていたから、その実態はよくわかります。地区で20人の名簿があっても、そのうち半分以上が統監だけの存在なんてことは珍しくありませんでした。



つまりこれは、創価学会という組織が常に「折伏」と称する布教活動を展開していないと、世帯数の増加は見込めないことを示唆していると思います。
常に会員が布教活動に挺身していなければ、創価学会は世帯数減少という事態から免れ得ないのです。
で、地域組織としてはその実態を統監上反映できないでいるということです。



令和3年7月16日付の聖教新聞の社説では、『立正安国論』の意義を「矛盾を乗り越える宗教」として定義していましたが、今までの創価学会のトーンとは明らかに違います。
かつては「力ある宗教」とか「幸せをつかむ宗教」とか、強烈に現世利益を主張していた創価学会が、ここに来て「矛盾を乗り越える」とか「小さなエゴを乗り越えることが現代では求められる」とか、そんなことを述べています。



その都度その都度、時代に合わせて(悪く言えば迎合して)、きれいなことばかりを言ってきた創価学会も、ここまで変節してくると、さすがに多くの方も辟易してくるのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。



時代の要請に耐える宗教こそ「小さなエゴを乗り越えて、矛盾を乗り越える宗教」なのだと仮定するなら、先日の原田稔会長の指導のように「政党支援を宗教活動の一環として」「公明党の政策への賛否を大義名分とすることなく」「組織に不満を言わず活動すること」こそが、現代社会の求める「矛盾を乗り越える宗教」「小さなエゴを乗り越える宗教」だということでしょうか。

少なくとも私には願い下げです。