気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

母への贖罪。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私はこんなブログを未だに書き続けていますが、こんなブログをよく読んで好意的に評価してくださる方がいることを知っています。感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございます。私は他の方のブログも比較的よく見ている方だと思います。



しかしながら、私は自分の活動家時代の醜さをよく知っています。自分が他人から尊敬されるような人間でもないことを、自分が一番よくわかっているつもりです。
創価学会、そして日蓮正宗の信徒時代に養われた精神性は、自分よりも弱者と見れば畳み掛けてねじ伏せる、そんなものでした。
とりわけ創価班・牙城会の組織である、広宣部・言論企画局に所属していた頃は酷いものでした。私はそれらの活動を半ば楽しんでやっていたのです。



私は広宣部時代、対論の資料を読みこなし、自身で資料も作成して、浮かれ気味で対論に取り組んでいました。当時は顕正会妙観講創価学会の組織切り崩し工作で多く入り込んでいた頃です。
彼らを回答不能になるまでやり込めるのが私の当時のやり方でした。あまりに強烈な対論に創価班の先輩が私を恐れ出したこともあります。妙観講の信徒さんと対論した時に、相手が回答不能に陥り、その後、相手が倒れて入院してしまったこともあります。



私は元々そのようなバリバリの活動家でした。方面幹部の広宣部メンバーも私に一目置くようになり、私は有頂天になっていたのかもしれません。
青年時代はライン役職も地区幹部から部長まで全部やりました。部員さんと遊びに行ってお酒を飲んだりするのが大好きでした。しかし今となっては私のせいで、組織から離れられずにいる人が少なくないことは自覚しています。その責任はきっと私にあるのでしょう。



私は布教活動もし、部員さん回りもし、休みの日は全てを返上して創価学会の活動に打ち込みました。
その結果、私はたった一人の家族だった母を失いました。



私は父を失った後も、母を介護して生きてきました。母の介護のために、また創価学会の活動の優先のために結婚もしませんでした。
全てを捧げて活動に明け暮れました。
今からすれば、当時の私はそんな宗教的な使命感に酔いしれていたのだろうと思います。



母方の親類は皆、亡くなりました。
父方の親類も、亡くなり、音信不通になりました。
そして母が亡くなった後、葬儀を終え、納骨も済ませ、たった一人で静かな夜を迎えた時に言い知れぬ虚無感に襲われました。
私の人生はいったい何だったんだろうと。



全てを総括したいと思いました。しかしながらそれができるほど、私の才能も知識も不足していました。
だから気楽に少しずつ書くだけのブログを書いてみました。
当初は少し成功したのかもしれません。
しかし次第に自分がまだ昔の思考法から逃れられていないことを自覚するようになりました。論戦好きで好戦的な自身の性格は、創価学会の庭で後天的に育まれた性格なのかもしれませんが、その自身の性格の醜悪さに身震いさえ覚えました。



私はブログを閉じようと一時期思いました。
しかし母のことを思うと、私は再び書きたいと思うようになりました。



私はたった一人の母さえも救うことができませんでした。
そんな醜い男が、母のいない世界で生き続けていることに、私は罪の意識さえ感じています。
こんな私でも何か伝えられることがあるでしょうか。
少なくとも、私が人様に何か教えを垂れることができるような人間であるとはどうしても思えないでいます。




何かに固執してしまうのは、人間の弱さなのだろうと思います。
そしてその固執を全て否定することは、もしかしたら人間にはできない、もしかしたら人間の手には余ることなのかもしれません。
しかしそれでも私は、全ての固執、全ての執着、全ての先入観から離れたいと思っています。



私は元創価学会員や元法華講員さん、またその未活、非活メンバーのブログもよく読んでいます。その中には私のブログを好意的に評価してくださる記事もあり、本当に感謝しています。
しかし私は自分のかつての醜悪さをよく知っています。
そして多くのアンチ創価学会、アンチ日蓮正宗等の方々が、被害者意識に囚われてしまうことの難しさも自覚しているつもりです。



私は単に人生を間違えた、人生を誤った人間として、母に対する贖罪の思いで、残りの人生を生きていきたいと考えているだけなのです。
私のブログに何か世の中に資する部分がもしもあるのだとするならば、自身の反省もかねてまだ少しずつ、もう少しだけ書いていきたいです。
お付き合いして頂いている読者の方にはただただ感謝しています。そんな気持ちで、母への贖罪もかねてブログを書いていることをご理解くださいませ。





母さん、ごめんね。
母さん、もう少し待っててね。
母さん、もう少しだけ頑張ってみます。
母さん、いつもありがとう。