気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

訳のわからない創価ルネサンス。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて平成4年頃から、創価学会は一時期「創価ルネサンス」という言葉をしきりに使っていました。
例えばマーチングバンドの「創価ルネサンスバンガード」は未だに活動しているかと思いますが、この命名の由来もこの時期の「創価ルネサンス」から来ています。



ルネサンスとは「文芸復興」くらいの意味ですが、創価学会ではこれを「創価人間主義開幕」くらいの意味で当時は使っていました。
内実は大石寺宗門から離れて、創価独自の教義を主張するもので、昭和52年路線の焼き直しに過ぎません。まあ、池田大作氏も54年会長辞任の頃、宗門に苦杯を飲ませられましたから、逆に第2次宗創紛争ではやりたいようにやったのかもしれませんね。



結果、何がどうなったか。



創価学会員は多く、教学的な話がわからなくなりました。
御本尊授与も創価学会独自で始まり、大石寺26世日寛書写本尊の複写が授与されたにもかかわらず、日寛の教義などほとんど知らない青年部を大量生産しました。
大白蓮華等の機関誌での御書の研鑽もレベルがどんどん低下しました。毎月の座談会では大きな文字でデカデカとページに書かれた、わずか数行の文章を皆で音読し、終わりです。



加えて、創価学会の中に独自教義を勝手に主張するような傾向が増えました。
池田大作を「転輪聖王」としたり、創価学会の教団の独自性を「七重・八重の相対」と呼んでみたり、創価大学を「現代の戒壇の意義」とか呼ぶようになるのは、主に波田地克利氏や正木正明氏の影響が強いでしょう。
そんなわけのわからない教学など、日蓮門流や仏教関係者から見向きもされないで終わるだけですが、彼らは自分たちが何をやっているのかさえわからなくなってしまっています。
今でも正木正明氏、波田地克利氏の影響が強い幹部は、訳の分からない教義の当て嵌めが好きです。そんな人たちに限って「宇宙の真実」とか「生命のリズム」とか、訳の分からないことを言い出します。
そんなものは仏教であるはずもないのに、彼らはそんな基本的な批判すら受容できずに、内側の殻に閉じこもることしかできなくなっているのです。



宇宙生命の「法」と個人の内的な生命とが一致するというのは、仏教ではなくてウパニシャッド思想です。仏教で最も近い考え方を探すなら大日如来法身仏とする真言になるでしょう。
彼らは日蓮門流を名乗りながら、五重の相対で内外相対の「外道」に戻るのが仏教の本流だと考えているのでしょうか。



私は宇宙とか生命とか常住の法とか、そんなことを主張する人たちを全く信用していません。そんなことを主張する人たちは、真摯に仏典を読んでいないことを暴露しているに等しいのです。
永遠の法や常住の仏、また涅槃に憧れるのが人間の常ですが、そもそもそこへの執着を捨てることを教えたのが仏教であったはずです。
「御義口伝には真理がある」とか「池田先生は間違っていない」とか「御本尊に確信がある」とか、そういうわけのわからない思い込みを全て捨てることなのです。
仏教の教えは、そのような常住の教えを否定することにあります。
釈迦は「大パーリニッバーナ経」で、釈迦から離れて自身を島にすることを伝えています。