気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

読むこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



よく親しい友人たちから質問されることなのですが、ブログを書くのに「どうやって勉強したのですか」とよく言われます。
私は正直に言うと、大して勉強している自覚もありません。



単に私は読むことを日常的にしているだけです。読書は好きなので、趣味に近いです。
今はネットの情報もありますし、今では貴重な文書類でさえも、わざわざ神田の古書店街まで行かなくても買うことができるメリットがあります。



考えてみれば、堀日亨の富士宗学要集の内容も、かつては信徒は知ることが出来なかった門外不出のものでした。
現代ではネットを通じて、当時の時の法主でさえ知り得ない情報を知ることができます。別に日蓮の宗教的な使命感や思いまで否定する気はありませんけど、少なくとも私たちは日蓮の接していた情報よりもはるかに多くの情報を得ることができます。しかも容易に即座にです。



ほしい仏典もネットで注文すればあっという間に届きます。しかし日蓮の時代は写本の存在する寺に出向かなければ、閲覧することさえできない時代でした。情報化社会というものは本当に素晴らしいと思います。
最大の問題は、そのような情報化社会にあって、教団側が自教団に関する都合の悪い情報を信徒に見せないようにしているのか、それとも全てをきちんと公開しているのかという点にあります。



コンサルティング会社アクセンチュアの指南により、創価学会は近年、アーカイブ事業に関して「認定委員会」の承認を経なければならないとしました。認定委員会が認めない情報はアーカイブとして公開され得ないという体質を教団側がコンサルティング会社の指南を受けて決めてしまったのです。



「経営コンサルティング会社との契約」



ただ残念ながら、現代のネット社会では事実はきちんと公開されていくと思います。
史料を通じた、客観的な史実ということは、どんなに詭弁を弄しても誤魔化すことはできません。
それを誤魔化すことは、歴史修正主義であり、かつて池田大作が「歴史健忘症」として批判した立場と同じになります。
どんな策を弄しても、史料だけは否定できないのです。その冷厳な事実を信濃町幹部や大石寺の能化の方々は理解されないのかもしれませんね。



追記
私はよく神田神保町古書店街に足を運びます。やはり現物を見て学ばないといけませんよね。読むことは私の趣味なのですが、今の創価学会員さんは読むことを自分で勝手に「できない」と思い込んでいる人が多いように思います。