気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

活動家の減少。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はブログで小難しい教学の話を多く書きますが、教団信徒の教学力の低下から教義の問題に関して理解されない方も少なからずいらっしゃるかと思います。
けれども創価学会の活動家の方は、活動家が高齢化してきており、青年層が地方によっては壊滅的・危機的な状況にあることは実感としてわかるのではないでしょうか。
このことに関して、信濃町は有効な打開策を打つことに既に失敗し、単なる延命策でお茶を濁しているとしか私には思えません。



「教団の延命」



それが違うというなら、なぜ各方面の青年部が減り続けていることや活動家が高齢化し続けていることに信濃町執行部が反省や総括を表明しないのでしょう。
支部や地区の協議会では年末に「討議」という会合を持ちます。そこで今年度の目標が達成できたのか、できなかったのかを反省し、来年の目標を決めます。
青年層の減少と活動家の高齢化の原因は、各地区や各支部は「自分たちの責任だ」と反省するところも少なくない筈です。



そのことに対してなぜ信濃町は何も言わないのでしょう。
現場で活動している活動家が可哀想だとは思わないのでしょうか。
もしも思うなら、尚更なぜ言わないのでしょう。
「私たちの打ち出しが悪くて現場は悪くない」となぜ言えないのでしょう。
言わないことは無慈悲だとなぜ気付かないのでしょう。
活動家の減少と高齢化で自分たちを責めている人たちがいることに、なぜ心を砕かないのでしょう。



まあ、言い方を変えれば、そういうところが創価学会の特徴であり、現場に発破をかけるだけの指導者がかつての池田大作でしたから、それ以外のことができなくなっているのかもしれません。大石寺法華講さんもだんだんそんな感じになりつつありまして、末寺への弘教指導会など創価学会そっくりの組織になりつつあります。



いい加減、組織に発破をかけて人を動員するだけの活動に見切りをつけ、信濃町自体が深く反省をし、活動家の減少に対して、真摯に動こうとしなければ、さらなる活動家の離脱、非活メンバーや退会者の増加は避けられないと思います。



活動家は今の信濃町が何もしてくれないことを少しずつ肌身で感じ取っています。
今秋の衆議院選挙で一つの結果が出るのかと思いますが、その前に反省なり総括なりをきちんとやらないといけないでしょう。
まあ、正直なところ、今の信濃町創価学会はそんなことに関心がなく、延命策で時間稼ぎをし、後はコンサルティング会社に経営を委ねていくだけなのでしょう。



追記
九州方面のかつて伝統であった「十万人の第九の合唱」はもう不可能です。指導者層が高齢化してしまい、亡くなる人もいたり、家族介護に追われたり、活動から遠ざかってしまいました。
PL学園は名門の野球部が廃部になりましたが、既に対岸の火事ではないことがなぜわからないのでしょうね。
あるいはわかっているのに、見て見ないふりをしているのかもしれませんが。