気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

親鸞の名号本尊について。

 

 

 

いつも皆さん、ありがとうございます。

 

 

 

さて現代の浄土真宗等では、阿弥陀仏の立像を本尊としているのですが、親鸞自身はなんと「南無阿弥陀仏」等と書かれた文字、すなわち書かれた名号を本尊としていたことが知られています。

これは事実として親鸞自身の筆による名号本尊が現存していることからも確かなことと言えます。

具体的に現存する名号本尊を列挙してみます。

 

 

1、「南无阿彌陀仏」、康元元年10月28日(1256年)、本願寺

2、「南无不可思議光仏」、康元元年10月25日(1256年)、専修寺

3、「帰命盡十方无碍光如来」、康元元年10月25日(1256年)、専修寺

4、「帰命盡十方无碍光如来」、康元元年10月28日(1256年)、妙源寺

5、「帰命盡十方无碍光如来」、専修寺

6、「南无盡十方无碍光如来」、専修寺

 

 

 

実は『教行信証』の「真仏土巻」を繙くとわかることですが、阿弥陀仏を「阿弥陀仏光明、最尊第一無比」と述べているように、親鸞阿弥陀仏を光明の存在、大日の法身仏のような存在として捉えています。

これは『教行信証』全体にモチーフとして説かれておりまして、例えば「行巻」には次のように書かれています。

 

 

 

「悲願はたとへば大虚空のごとし、もろもろの妙功徳広無辺なるがゆへに。(中略)なをし伏蔵のごとし、よく一切のもろもろの仏法を摂するがゆへに。なをし大地のごとし、三世十方一切如来出生するがゆへに。日輪のひかりのごとし、一切凡愚の痴闇を破して信楽を出生するがゆへに。」

親鸞教行信証』111~112ページ、金子大栄校訂、岩波文庫、1957年)

 

 

 

田中和夫氏の指摘によれば、ここでは親鸞が全ての草木が生ずる母の「大地」のように、また全てのものを照らす「日輪の光」のように阿弥陀仏を喩えています。つまりここでの親鸞は、阿弥陀仏毘盧遮那仏(大日)と同様にとらえているということになります。

この考え方は覚鑁の『五輪九字妙秘密釈』に見られる「阿弥陀仏大日如来」の考え方、円仁の宝冠阿弥陀像に見られるような「毘盧遮那=阿弥陀仏」と同様の考え方が採られていると考えることが自然でしょう。

阿弥陀仏を全ての存在の大地のように、また光明のように考えるのが親鸞の思想的背景にあるとすると、では仏像本尊ではなく「六字名号」等の文字を本尊としていたのは、どこにそのルーツがあるのでしょう。

私はまさにそのルーツこそ、空海の『声字実相義』であると考えます。

 

 

 

「真如法性の『無分節の言葉は、時々刻々、自己分節を続けて』人間の言葉になろうとしている。『声字実相義』ではこのことを、『名之根本法身爲根源。從彼流出稍轉爲世流布言而已。(名の根本は法身を根源となす。彼より流出して、しばらく轉じて世流布の言となるのみ)』と表現している。『名』とは宇宙の根源的世界である法身(南無)から出て、この人間世界の『流布の言』になる。その『流布の言』が釈迦仏の法身説法である。そして、この釈迦仏の法身説法の言葉(『名』)が『實相』を現象させるのである。それが『声字実相義』の『名は必ず體を招く。これを實相と名づく』という言葉が示している。つまり、阿弥陀仏は、南無阿弥陀仏という『名』になることによってこの世界に出現するのである。これが法身説法のもつ力である。」

(田中和夫『親鸞の念仏思想と見仏体験』191ページ、広島大学大学院[博士論文]、2016年)

 

 

 

私が今、考えている親鸞の言語存在論に最も近いものこそ、この田中和夫氏の見解であり、阿弥陀仏という名号によって、存在者が混沌から生成の場を見つめるための一つの方便として、阿弥陀仏を考えることこそ、現在の私の信仰の考え方です。

言語を越えたものを私たちは認識できません。それはすなわち私たちの認識そのものが言語のありようと不可分だからなのですが、それを越えるための手立てとして親鸞にあっては六字釈が考えられているのだと私は今のところ考えています。

 

 

 

参考文献

田中和夫『親鸞の念仏思想と見仏体験』、広島大学大学院(博士論文)、2016年

井筒俊彦『意味の深みへ』岩波書店、1985年

親鸞教行信証』、金子大栄校訂、岩波文庫、1957年