いつもみなさん、ありがとうございます。
「旧録等取り調べ逐一御会答申し上ぐ可く候得共、去る慶応元年丑の二月廿八日之夜、弊山居坊之分残らず災に罹り候砌、古記録を入れ置き候書庫迄悉皆延焼多分烏有に属し今は何等之攷証に備ふ可き書類も之無く勿論弊禿如き愚侶の中々及ふ可きに之無く宜敷御憐愍を仰き奉り候。」
(『両山問答』富士宗学要集7-90〜91ページ)
この返状を素直に読めば、大石寺は慶応元年2月の火災により、大半の古文書類を焼失したということになります。
では、この火災により、具体的に何が焼失し、何が残ったのかを明確にする必要があるかと思います。
これらの諸抄は火災によって失われたため、身延曽存として知られます。
つまり火災によって失われたとするなら、何が具体的に失われたのかを明確にしなければ、元々何があったのかを後世に伝えることさえできないはずです。
大石寺はそういうことをきちんとやっていない、歴史を大切にしていないという印象を受けるのは私だけでしょうか。
そうでないというなら、要するに問答で回答に窮した下山日布が「古文書類が燃えてしまったのでその辺はお許し願いたい」と弁解がましく言い訳している印象をどうしても読者に与えてしまうと思います。