いつもみなさん、ありがとうございます。
さて弘安2年造立とされる戒壇本尊の相貌が、大石寺の相伝である『御本尊七箇相承』と異なっていることはすでに熊田葦城氏の『日蓮上人』における画像の公開、また柳澤宏道氏や犀角独歩氏の解析で広く知られています。
ところで、そんなことを書くと、法華講さんは何と言われるのか。大抵決まっています。
「お前は見たのか?」
完全に議論のすり替えかと思います(笑)。賢明な読者諸賢の方々もおわかりのように、私は「戒壇本尊の相貌と七箇相承の指示が相違しているのか、いないのか」という具体的な事実を指摘しているんですね。
それが違うというならば、例えば
「いや、戒壇本尊にはきちんと『若悩乱者頭破七分』等の文字は書かれている」
とか
「言われる通り、確かに戒壇本尊には書かれていないが」
等々、まず具体的な相貌の事実を認めた上で話を先に進めればよいのかと思うんです。
要するに「相貌の相違があるのかないのか」という質問に対して、大石寺の信徒さんは「お前は見たのか見ていないのか」という議論にすり替えるんです(笑)。これは完全に議論の逃げかと思います。
よくわからないなら「わからない」と言えば良いだけのことですし、なぜそれなのに話を逸らさなければならないのか私にはわかりかねます。
「『若悩乱者』等の文も、御歴代上人の書写される御本尊の両肩に書くよう御示しになったもので、大聖人の顕わされた根源の大御本尊の相貌について示されたものではない。よって、この文がないから云々、との疑難は全く当たらない。」(『慧妙』平成17年3月16日)
私が指摘したいのは彼らの正当化ではなく、戒壇本尊に「若悩乱者頭破七分」等の文字が「書かれていない」という事実の方です。
つまりそれらが書かれていないからこそ、外部のものとしては、戒壇本尊への信憑性が低いと考えざるを得ないということです。
「後世の贋作に過ぎない弘安2年の戒壇本尊」