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さて今回は法華経読誦についてです。
大石寺系教団では法華経の題目を唱えますが、それに併せて法華経方便品と如来寿量品を読誦しています。方便品では十如是までを三転読誦し、世雄偈を読むことはしません。また創価学会では如来寿量品は自我偈を読むだけです。
「一日にわづかに一巻・一品・題目計なり」
(『四恩抄』創価学会版御書936ページ)
「されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時・御いとまの・ひまに・あそばすべく候」
(『月水御書』同1202ページ)
(『真間釈迦仏御供養遂状』同950ページ)
(『転重軽受法門』同1001ページ)
「昼は終日一乗妙典の御法を論談し、夜は竟夜要文誦持の声のみす」
(『身延山御書』昭和新修版1283ページ)
「一向に法華経の内・自我偈読誦し候又同じくば一部を読み奉らむとはげみ候これ又偏に現当の御祈祷の為なり」
(『下山御消息』創価学会版御書343ページ)
「御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ」
(『上野殿母御前御返事』同1568ページ)
「世間の道俗の中にわずかに観音品・自我偈なんどを読み適父母孝養なんどのために一日経等を書く事あれば」
(『唱法華題目抄』同5ページ)
「三十余人をもつて一日経かきまいらせ・並びに申酉の刻に御供養すこしも事ゆへなし」
(『地引御書』同1375ページ)
以上の諸御書に見られるように、日蓮自身は法華経一部を読誦したり、また一日経(法華経一部を一日で書写すること)等の修行も認めていることがわかるかと思います。ちなみに『上野殿母御前御返事』は弘安3年の述作で真蹟現存ですから、日蓮自身は佐渡以降も生涯にわたって、法華経一部読誦を行なっていたことがわかります。
ところで、『月水御書』には「常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」(同1202ページ)とされていますから、これを基本とするなら方便品は十如是以降の世雄偈も読むことになろうかと思います。ちなみに正信会系僧侶の一部は方便品世雄偈も読誦していますが、その根拠はこの辺なんだろうと思います。