気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

釈迦の立像のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は日蓮が伊豆配流以降に常に所持していたとされる釈迦像についてです。



伊豆配流の際に、日蓮本人が釈迦像を造立し、これを生涯にわたって常に日蓮の身の近くに置いていたことは諸文献から読み取れることです。


例えば日興筆による『日蓮聖人御遷化記録』(西山本門寺蔵)には日興の字で「御所持仏教の事、御遺言に云く。仏は釈迦の立像、墓所の傍に立て置く可し」と書かれています。


また日蓮の遺文では『神国王御書』(真蹟:京都妙顕寺蔵)では「其の外小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし」と書かれていますから、これが伊豆配流の際に作られたものかはわからないとしても、少なくとも日蓮が釈迦立像を拝していたことはよくわかるかと思います。


日代書写本の残る『五人所破抄』(北山本門寺蔵)には「五人一同に云く、先師所持の釈尊は弘長配流の昔之を刻み、弘安帰寂の日も随身せり」(創価学会版御書では1614ページ)とされていますが、ここでの興門流の反論中に「弘長配流の際に釈迦像を刻んで造立した」ことに対する否定は存在しません。


伊豆配流の際に釈迦像が海から引き上げられたとする"伝説"は、真蹟の現存しない『船守弥三郎許御書』にしか語られないことですから、信頼性は低いと思います。


「船守弥三郎のこと」


とすれば、ここから考えられることは以下のようになるでしょうか。


1、伊豆配流の際、日蓮は釈迦の立像を刻んで造立した。

2、日蓮はこの釈迦立像を随身し、それらを経典とともに安置して拝していた。

3、日興はこの釈迦立像の存在について記録に残しており、日蓮の墓の傍に置くべきであるとしている。



ということになろうかと思います。
日蓮が釈迦像を生涯所持していたことは、上記の内容からも充分に類推することができるかと思います。日興はまた『原殿御返事』の中で「四菩薩を伴った釈迦仏造立」を認めています。