いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は会館建設についてです。
昭和39年、池田大作会長(当時)は次のように発言しています。
「この建物は小さいけれども、我々の拠点であります。私どもは喜んで小さな拠点を造っているわけなのです。他の教団等においては、すぐに信者から金をしぼりとって、虚栄のため、商売のため、宗教企業のために大きな殿堂を作ります。私どもの会館建設にあたっては、会員の皆さんの負担とせず、新聞や雑誌の利潤を少しずつでも蓄積して作っていることを知っていただきたいのでございます。創価学会は形式的な大きな建物を、将来も排除していきます。」
(聖教新聞、昭和39年9月15日付)
ところが豈図らんや、正本堂建立後にこの発言はあたかもなかったかのように、各地に大きな会館が建設されていきます。
財務でたくさんお金が入ったから方針が変わったのでしょうか。
以前、ブログでも書きましたが、正本堂建立まで財務はきちんと目的がありました。「本山整備」とか「寺院建立」とかいうものです。それが正本堂建立以降なし崩し的になくなり、目的も何もないお金集めの財務が始まっていきます。
そしてちょうどその頃に「在家でも供養を受けられる」とした池田氏の講演『仏教史観を語る』が発表されるのは、偶然ではないと私は思います。
「財務の問題と昭和52年の問題」
昔は会合なんてみんなお寺か個人宅でやってたんですけどね。本当に大きな会合になると日大講堂でしたし。
会館建設なんてやめればいいんだと思います。