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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『富士一跡門徒存知事』について。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は『富士一跡門徒存知事』についてです。



創価学会大石寺は『富士一跡門徒存知事』について、これを日興の著作として考えています。
ところが創価学会版が出典・底本としたのは堀日亨の『富士宗学要集』第1巻相伝部からで、実はこの著作に日興の真蹟は存在しません。また古写本も存在していません。
重須本門寺の日誉の写本が現存しますが、これは日蓮滅後240年に書かれたものであり、しかも書写をしているのは大石寺の僧侶でさえなく北山本門寺の僧侶です。


そんなわけで『富士一跡門徒存知事』は後世の日興門流に伝わる文書であり、これを日興真蹟とするのは私には躊躇されるところです。


ところで、この『富士一跡門徒存知事』を日興の著作として一定の評価をされる方の一人に宮田幸一氏がいます。
宮田幸一氏はいくつかの論拠を示していますが、その中の一つは高橋粛道氏の論考から日道『三師御伝土台』中に見える「十七条の御遺告」が『富士一跡門徒存知事』の条文と一致するのか検証をしているところです。



確かに条文を整理すると、17の条目に分けることができますが、問題となるのは追加の8カ条が添加されていることと、そしてこの追加8カ条中に「天目」に関する記述が見えることなんですね。
そもそも高橋粛道氏、宮田幸一氏、堀日亨氏らでこの条文の立て分け方がすでに異なっていますので、これが果たして本当に『御伝土台』の17条の御遺告と一致するのかという疑問もありますし、そもそも『御伝土台』における「十七条」の記述から『富士一跡門徒存知事』が後世に創作された可能性も決して否定できないと思うんですね。


また「十七条の御遺告をもって天目を難破する」と『御伝土台』では述べられていますが、そもそも天目に関する記述はこの前半17条には存在せず、後記の付加部分8カ条に出てくるのみです。


思うに『富士一跡門徒存知事』は日興門流によって後世に作られた文書であって、その中には日興の思想を伝えるものもあるのかもしれませんが、この文書の内容はきちんと他の真蹟と対照して読まれるべきものかと考えます。