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さて今回は大石寺17世日精の御影堂についてです。
それは大石寺17世日精です。
実は御影堂が建立される際、日精はこれを「本門戒旦本堂」と命名していまして、これは大石寺御影堂棟札にきちんと記載されています。またこのことは大石寺66世細井日達も指摘していますし、宗門の『大百法』でも公式に述べられています(平成20年12月1日)。
以下のウェブ記事が参考になるかもしれません。
日精の『御影堂棟札』には確かに「本門戒旦本堂」と記載されています。
「大施主
松平阿波守忠鎮公之
御母儀鏡台院日詔信女敬白
日精養母也
合力上野講衆等
願主 日精
本門戒旦本堂 寛永第九壬申年
霜月十五日造立之
大工石川與重郎家次」
ということは、「広宣流布の暁に大石寺が本門寺に名前が変わって、その時の本堂安置の場所が本門の戒壇になる」という教義も決して根拠のあるものでもなく、すでに江戸時代に日精によって一度「本門戒旦本堂」は大石寺に建立されていたということになります。