いつもみなさん、ありがとうございます。
信憑性ある遺文から判断して、日興が「戒壇」という語を用いたことはありません。
日興が主張していたのは『富士一跡門徒存知事』や『三時弘経次第』に見られるように「本門寺」という思想です。
日蓮自身が構想していた本門の寺は、本堂で授戒ができる戒壇としての機能を持っているものでしたから、その意味で考えれば日興が『三時弘経次第』で図示した富士山を本門寺とする考え方こそが、実は日蓮自身の純粋な戒壇説の継承であろうと思うんですね。
富士宗学要集に収められている日興の『三時弘経次第』では、日興自身の図が文章に置き換えられていますので、日興自身の真意がなかなか伝わりにくくなっているように思います。そこで実際の形に近い図を挙げてみます。記事冒頭画像はその図形です。
この図から考えると、日興の思想がよく見えると思います。
参考文献: