いつもお読みいただき、ありがとうございます。
本当に感謝します。ありがとうございます。
でもそれらは信じた自分の責任です。
このブログをお読み頂いている若い方に伝えたいことを書いてみます。
第一に、罪を他者のせいにして「騙された」と教団を批判するだけの人間にならないでほしいという点です。
若い世代の信徒さんの多くは二世、三世の方でしょう。もちろん何も分別がつかない赤ん坊の年頃で創価学会に入会させられたという人も多いと思います。
しかしそれを選び取って、信仰を続けるのは自身の責任です。教団を非難して「騙された」と罵詈雑言の限りを尽くすのも勝手ですが、それでは所詮、相手を非難して下に見るだけの一部の傲慢不遜な学会幹部や大石寺の法華講さんとなんら変わらないと私は思います。
第二にどこまでも自由に思索して頂きたいという点です。
先入観に囚われてしまうのは、人間なら誰しもそうです。私もかつての創価学会思想を克服することに苦労しましたし、「池田先生」という幻想を否定することに痛みを覚えました。
若い方は先入観もさしてなく、私のような世代のものよりはるかに自由に物事を見ることができると思います。
第三に真摯に学ぶ人であってほしいです。
私は学生時代に池田氏より「勉強して強くなりなさい」と指導されました。その通りに頑張ってみました。できたかどうかはあまり自信がありません。
若い人たちの方がたくさん可能性があります。いずれ創価学会の地方組織は団塊世代が後期高齢者を迎えるにつれ、事実上の崩壊を迎えます。その時に過去にすがらず、教団に頼らず、自身で思索できる一人一人になってほしいです。
創価学会は若い世代をたくさん犠牲にしてきました。たくさんの不幸な人も作りました。組織に従属させ、時間とお金を奪い、組織の論理でしか物事を見ることができない一面的な思想人を大量生産してきました。
私もまた活動家時代にその一端に加担したことを認めます。その罪深さには戦慄を覚えるほどです。
若い方たちはそうであってはならない。私のような苦しみは私の代で終わらせたいです。
私は母と父とともに信仰活動に励んできました。けれど母と父にこのブログで書いているような真実の全てを伝えることはできませんでした。ただ少しだけ、母と父には創価学会の欺瞞性を晩年に伝えることはできました。財務をやめさせたり、活動から身を引かせることもできました。でも自分の言いたいことを全て伝えられたわけではありません。
母も父も私は亡くしました。そのことを私は今も悲しんでいます。
もっと何か私にできたことかあったかもしれないと私は今も後悔し、自問しています。
これ以上、そのように組織に苦しむ人間を見たくありません。
組織に縛られる人間も必要ありません。
教義に縛られてしまうのは、教義について深く知ることがなく、教団自体が学ぶことを軽視しているからです。
若い人たちにはそうであってほしくないです。
強い一人一人になってもらいたいです。
私がこのブログで書いていることなど、学問的に大したことではありません。文献や論文を読み、その理解したことを考えただけの二番煎じみたいなものです。私を「学者馬鹿」と呼ぶ人もいますが、私は「学者」ですらありません。
学んだ人は語ることができます。誰かを守ることもできるでしょう。
どうか若い方たちが、創価学会という過去の遺物を乗り越えて、私なども気にせずに自由に思索してくださることを期待しています。
私に「会って話を聞きたい」という方も多く、お会いさせて頂いていることに感謝しています。ありがとうございます。
自分自身が若い方たちに何かできることがあるなら、積極的にどんどん動いて会って話をしていきたいです。
みなさん、ありがとうございます。私は若い方たちにも恵まれてとても幸せです。