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さて先日の記事で、『御義口伝』に引用されている『科註妙法蓮華経』が1295年、日蓮滅後13年の刊行であり、これにより『御義口伝』は日蓮講述の述作とは言えず、偽書の疑い、また後世に創作された部分が多く存在する可能性が高いことを書きました。昨日のブログでも引用しましたが、再掲します。
「大石寺写本『御義口伝』の改竄」
ところで、徐行善編による『科註妙法蓮華経』は1295年刊行とされていますが、日本に伝わって来たのは更に後代となることが推察されます。
朴鎔辰の『元代『科註妙法蓮華経』の刊行と流通』(印度学仏教学研究第64巻第2号、平成28年3月)によれば、『科註』が高麗に伝わったのは1317年になります。その後、15世紀の朝鮮初期にも刊行されていることがわかります。
さらに龍谷大学に蔵されている元刊本の『科註』原本では巻2の巻末に朱書で「寛正二年三月二七日」の日付が確認できることがわかります。したがってこのことにより、三井寺の清尊が『科註妙法蓮華経』を寛正2年、すなわち1461年に見ていることがわかります。1461年ということは日蓮滅後179年であり、日興滅後で考えても日興滅後128年のことになります。
朴鎔辰氏の論考を見ると、これ以外の日本における刊行本では、主に慶長16年(1611年)から元禄4年(1691年)までの17世紀に集中的に木版本が刊行され活用されていたことが判明しています。
つまり『御義口伝』は後世の創作による偽書の可能性が高く、仮に口伝として伝わっていたと仮定しても後世の加筆等の可能性も拭い切れず、日蓮口述の作とは厳密には言い得ないことがここからもよくわかるかと思います。
内容から判断しても、真蹟遺文中には全く見出されない「無作三身」の用例が見られ、到底日蓮自身の思想を伝える著作とは言えないことは明らかであります。日蓮真蹟遺文中に「無作三身」の用例は一箇所もありません。
参考文献: